―――なぜ高度経済成長期に多く使われた?
【藤森さん】 当時は子どもが多かった時代です。遊び場は現代のように整備されていない砂利道で、さらに子どもはみんな半ズボンで駆けまわっていた。すり傷などのケガが頻繁に起こる環境だったことから、赤チンを使用する機会も多かったのだと思います。ゲームなどもなく現代と比べて外で遊ぶことが多い時代だったため、転んでケガをする頻度も比例して多かったんです。外で遊び、ケガをした子どもたちは家で親に赤チンを塗ってもらう。昭和ではそれが当たり前の風景でした。
―――赤チンを塗ると色がつく?
【藤森さん】 1度塗ると肌も赤色になります。赤チンが乾くとキラキラと光って見える、なんてこともありました。風呂に入るとだんだん色が落ちていくのですが、2〜3日は赤いままの子もいましたね。だいたい4~5日すると色も落ちて元通りになります。ケガをして赤チンを塗り、肌が赤くなる。わんぱく小僧たちにとって“勲章”のようなものでしたね(笑)。
その後、子どもたちはだんだん半ズボンを履かなくなってケガをしにくくなり、さらには赤チンを塗って赤くなることへの恥ずかしさ・抵抗感が出てくる。大人になるにつれて、赤チンを塗ることはなくなっていきましたね。
―――赤チンが衰退してきたのはいつごろから?
【藤森さん】 1971(昭和46)年に「白チン」と呼ばれる色のつかない消毒薬「マキロン」が開発され、一般家庭でも徐々に赤チンよりも白チンが使われるようになっていきました。1980年代ごろには赤チンのシェアは落ちていき、生産終了を迎えた2020年ごろには年間製造数も約6万本に減少していました。
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ロングセラー商品「赤チン」を長きにわたり製造し続けてきた三栄製薬株式会社ですが、時代の変化とともに惜しまれつつ生産を終了。かつて、少年時代にはひざ小僧に赤チンを塗っていた、という人も多いのではないでしょうか。
(取材・文=濱田象太朗)