北野天満宮の橘重十九(たちばな・しげとく)宮司は、「天皇や上皇の古今伝授に際して、和歌が記された短冊が、禁裏から住吉大社(大阪市住吉区)や、玉津島神社(和歌山県和歌山市)へ奉納されたことは知られているが、北野天満宮への奉納については、学界でも知られていなかった」と話す。
江戸時代中期の「和歌三神」は、住吉・玉津島・柿本(人麻呂・兵庫県明石市)を指すが、室町時代に後奈良天皇が記した日記『天聴集』に、没後の菅原道真を神格化した御神号「南無天満大自在天神」・「南無住吉大明神」・「南無玉津島明神」との記述があるという。
北野天満宮に奉納された短冊の数も、住吉大社、玉津島神社などよりも多い。こうしたことから、学問の神とされ、詩歌に抜きん出ていた道真(北野天満宮)が、和歌の神として、宮中で深い信仰を集めていたことがわかる。
調査した長谷川教授は、「和歌の内容は、『歌はこうして詠むのが望ましい』という伝統的規範に則ったものだが、北野の天神(道真)に対する崇敬を表現したものもある。そして保存されている多くの短冊は、近世和歌の研究では非常に貴重な資料となる」と話した。
北野天満宮の楼門には「文道太祖 風月本主(ぶんどうのたいそ ふうげつのほんしゅ)」と記された扁額がある。5歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作るなど天才と称賛された道真が、学問・文学の祖であり、漢詩や和歌、連歌に長けた“ 美的感受性”を兼ね備えていたことを称えている。