昭和の“週末の楽しみ”といえば、デパートでの買い物だった人も多いのではないでしょうか。高級ブランドでの買い物や、屋上遊園地、喫茶店で食べるお子様ランチなど、非日常感が味わえるデパートは大人から子どもまで多くの人々を魅了しました。
そんなデパートでのひとときを優雅に彩ったのが、デパートの“顔”とも呼ばれていた「エレベーターガール」。その歴史について、日本で初めてエレベーターガールを導入した百貨店、松坂屋上野店の広報担当者に話を聞きました。
―――エレベーターガールの仕事内容は?
【担当者】 おもな仕事は、エレベーターの操作です。しかし、扉の開閉以外にも、お客様が指定した階数を暗記したり、エレベーターに乗りそびれる人がいないよう各階でフロアに出て呼び込み作業を行ったほか、各フロアの店舗を案内するなど、多くの仕事を兼務していたそうです。
―――なぜエレベーターを操作する人が必要だった?
【担当者】 エレベーターガールが登場する以前は、ほとんどのエレベーターが手動で動いていました。操作が複雑で技術を要したため、その業務は男性がほとんど行っていました。
その後、1923年の関東大震災によって本館が全焼。再建された1929年に、自動開閉装置が備わった最新式のエレベーターが導入されました。最新式は誰でも簡単に操作することができたため、当時の日本で初めてとなる「昇降機ガール(=エレベーターガール)」を採用するようになりました。
―――どのような人がエレベーターガールをしていた?
【担当者】 まずは、社内で希望者を募ったそうです。当時の新聞には、「女店員の中から希望者を募つたところみんなやりたいといふ者ばかりでその中から適当な人を選び練習させたものの由」と書かれています。
新聞には募集条件なども記載されており、「14歳から20歳前後の人」「高等小学校を出た人が日給80銭、女学校まで出ていると1円5銭」と、店舗で働く女性社員とほとんど同じ水準だったことがわかります。