【江さん】 諸説あります。1994年に出版された『にっぽん洋食物語大全』によると、林さんというお客が毎日注文していたから、「林さんのライス」でハヤシライス。また、横浜で西洋雑貨や洋書を輸入販売していた丸善の創業者である早矢仕有的(はやしゆうてき)氏が考案したからという説も。さらに、英語で細切れを意味する“ハッシュ”がなまったとの説も存在します。「ハッシュド・ビーフ・ライス」からハヤシライスになったと。
――複数の説があるのですね。そんなハヤシライスと関係の深いのがデミグラスソース。洋食に欠かせない存在なのかと。
【江さん】 デミグラスソースとは、伝統的なフランス料理の基本ソース「ソースエスパニョール」を元に作られています。
ソースエスパニョールとは、バターと小麦粉を熱して作ったきつね色のルーに、ブイヨンを注いで半分の量になるまで煮詰めて濾したところへ、肉汁と「glace de viande (グラス・ド・ビアン)」(肉汁を煮詰めたもの)を加えたソースです。このソースをさらに半分(フランス語で「demi(ドゥミ)」)になるまで煮詰めたもの(「glace(グラス)」=氷が転じて、煮凝り・煮詰めたものの意)を一般に「デミグラスソース」と呼んでいるのです。
ただ、実はフランスでは、作るのに手間がかかりすぎる、味が完璧に決まってしまうがゆえにアレンジがしにくい……といった理由から、ほぼ使われることはなくなってしまいました。しかし(“完璧に決まった味”=定番が求められる、「洋食」という独特のジャンルが確立された)日本ではこのソースが受け継がれ、洋食の主役を担い続けています。
特に神戸の「グリルミヤコ」(中央区元町通)のデミグラスソースは、昔ながらの手法のまま丁寧に作られています。ここもまた、船のコックさんが開いたレストランです。手間暇かけて作られたデミグラスソースの味はやはり全然違いますね。
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普段何気なく食べているハヤシライス。その背景を知ると、いつもとは違った味わいを楽しめるかもしれませんね。
(取材・文=田中理紗子)
■江弘毅(こう・ひろき) 編集者/著述家
大阪府岸和田市出身。神戸大学農学部卒。編集集団「140B」取締役編集責任者。雑誌『ミーツ・リージョナル』の雑誌『ミーツ・リージョナル』の創刊に加わり、のち12年間編集長を務めた。著書に、『神戸と洋食』(神戸新聞総合出版センター)『有次と庖丁』(新潮社)『飲み食い世界一の大阪』(ミシマ社)『ミーツへの道』(本の雑誌社)『問い直しファッション考』(亜紀書房)など。