車いすラグビーでリオ銅→パリ挑戦はパラサイクリングで 「人生を切り開いていきたい」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

車いすラグビーでリオ銅→パリ挑戦はパラサイクリングで 「人生を切り開いていきたい」

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 車いすラグビー日本代表の2016年リオ・デ・ジャネイロパラリンピック銅メダルメンバーが、同競技との出会いやパラリンピック銅メダルへの道のり、引退後に見つけた新たな挑戦=パラサイクリングでの今後の目標について、ラジオで語りました。

 2012年ロンドン、2016年リオ・デ・ジャネイロと、パラリンピック2大会に連続で出場し、リオでは車いすラグビー日本史上初の銅メダル獲得に貢献したのが、官野一彦さんです。

元車いすラグビー日本代表の官野一彦さん

 官野さんのスポーツ人生の原点は野球だったといいます。プロ野球選手を目指して進学した強豪・木更津総合高校では1年生からレギュラーとして活躍していました。

 しかし、高校卒業後に始めたサーフィン中の不慮の事故により、頸椎を損傷。一命は取り留めたものの、車いす生活を余儀なくされました。

 その後、車いすラグビーとの出会いは突然やってきます。退院後に訪れた自動車店で見知らぬ男性に「車いすラグビーは知っていますか?」と話しかけられたことが、同競技との出会いになったといいます。

 当時、競技そのものを知らなかったこともあり、「これを目指せば、入院中に自分を鼓舞するために言い続けた『パラリンピックに出て有名になる』という夢を叶えることができるのでは」と考えた官野さん。競技開始からわずか1年で日本代表に選ばれます。

「車いすラグビーは全力でぶつかるのが心地よかった。ハの字の車いすに乗っているこの空間だったら、すごく自由を感じられた」(官野さん)

 2020年、14年にわたって続けた車いすラグビーからの引退を宣言。現在はパラサイクリング競技に取り組み、2024年開催予定のパリパラリンピック出場を目指して活動しています。

 障がいの種類や重度によるクラス分けのほか、「ロード種目」「トラック種目」が設けられている、パラサイクリング。新たに挑戦する競技について、「車いすに乗り、寝ながら漕ぐので、態勢がとても低い。下り坂では最大70キロものスピードが出て、とてもスリリング」なのだといいます。

 実際、屋外コースを走っている最中にカーブを曲がりきれず崖から落ちるという、一歩間違えたら死んでいたかもしれない事故もあったのだとか。そのときは幸いにも木にひっかかったため無事だったそうですが、同競技で「2回も命を落としかけました」。それでもチャレンジを続けています。

 官野さんは団体競技から個人競技への転身を経験したことで、「自分がすごく恵まれていたことに気づいた」と語ります。

 団体競技では、チームを運営するスタッフやスケジュールを管理するマネージャーなど、たくさんの人の手で成り立っていた一方、個人競技になった途端、「お金集めから、コーディネート、エントリーまで、すべて自分でやらなければいけなくなった」。その大変さを知ったことで、「改めて、周囲の人々への感謝の思いが強くなった」と実感を込めて述べていました。

「いろいろな人たちの支えがあって目標ができた。だからこそ恩返しの意味を込めて、なんとかパリパラリンピックに出たい」と、決意を固めた官野さん。

 自身が取り組むハンドサイクル(手でタイヤを回す)分野では、パラリンピックに出場経験のある日本人はまだ1人もいません。「自分の人生を切り開くことが、僕にとって1番やりたいこと」と前を向く官野さんにとって、パリパラリンピックへの出場は生きがいの1つでもあるようです。

※ラジオ関西『アスカツ!』2023年10月7日放送回より

元車いすラグビー日本代表の官野一彦さん(写真中央)、番組パーソナリティーの中田仁之(同右)、西岡詩穂(同左)

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『アスカツ!』(ラジオ関西 毎週土曜午後8時30分~)
アスリートに特化したビジネススクール「Athletes Business United(R)(ABU)」学長の中田仁之とフェンシング元日本代表・2大会連続五輪出場選手である西岡詩穂がパーソナリティ。アスリートをゲストに迎えてさまざまなトークを展開する。
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