「あたり前田のクラッカー」。昭和生まれはもちろん、幅広い世代から知られるこのフレーズ。前田製菓株式会社が手がける商品名で、発売から半世紀以上が経った今もなお現役で販売されています。昭和を代表する名フレーズの誕生秘話や商品の歴史について、同社の企画開発課・藤岡さんに話を聞きました。
―――まずはじめに、前田製菓について教えてください。
【藤岡さん】 1918年に創業し、今年で105周年を迎える菓子メーカーです。創業当初は「前田西洋菓子製造所」として、当時としてはかなり“ハイカラ”だったマシュマロやキャンディを作っていました。戦時中には、政府からの依頼で軍隊用の乾パンなどを作るように。そこからだんだん、クラッカーやビスケットなどを主力として作るようにシフトしていき、現在の姿へと変化しました。
戦時中に乾パンを多く作っていた流れから、戦後間もない1955年に大衆向けの商品として「ランチクラッカー」「バタークラッカー」の2種類が誕生。後に、「あたり前田のクラッカー」として知られることとなる商品です。
―――「あたり前田のクラッカー」というフレーズができた背景は?
【藤岡さん】 このフレーズが誕生したのは、商品発売から7年が経った1962年のことです。この年、弊社の1社提供による時代劇風コメディ番組『てなもんや三度笠』(TBS系列)の放送が開始。主演を俳優・藤田まことさんが務めたのですが、視聴率50パーセント超えを記録する伝説の番組となりました。
同番組の冒頭では藤田さんが寸劇を繰り広げ、最後に「おれがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」という決めゼリフを言いながら弊社のクラッカーを見せるというのがお決まりでした。日本中が見ている番組で必ず言われるセリフだったことから、こんなにも有名なフレーズになったのだと思います。
―――実は、現在も販売されていることに驚きました。
【藤岡さん】 そういった声をいただくことは多いです(笑)。SNSを始めた数年前からお客さんの声を聞く機会が増えたのですが、若い世代のなかには「祖父母・親世代が言っていたからフレーズは知っていたが、『クラッカー』がお菓子を指していることは知らなかった」という人もいらっしゃいます。昭和の“親父ギャグ”と思っている人も多いのかもしれません……(笑)。
そういった声を耳にするたびに、「もっとクラッカーのことを知ってほしい」とは感じます。ただ、発売当時に全国的に有名になったことからクラッカー以外の商品ラインナップも増え、どの商品も前田製菓を知っている人からは根強い人気を誇っています。実は、「あたり前田のクリケット」という、ひと口サイズのビスケットもあるんですよ。