第5章「現代の働く人びと」の作品は、現代を生きる私たちにダイレクトに働く意味を問いかけてくる。やなぎみわ(1967年~)の写真作品(ダイレクトプリント)「案内嬢の部屋 B1」(1997年、大阪中之島美術館)では、長いストレートヘア、タイトスカートの制服を着た同じような外見のエレベーターガールたちが、百貨店の中で休憩している。かつて多くの百貨店にいたエレベーターガールが、都会のアイコンのような洗練された美しさをたたえながらも、無個性の外見、形式的な振る舞いを要求され、社会に消費される存在であったことを1枚の写真で表現。やなぎの代表作の一つだ。
会田誠(1965年~)の「灰色の山」(2009~2011年、タグチアートコレクション/タグチ現代芸術基金)は、遠くから眺めると墨で描かれた日本画を思わせるが、そばで見るとぎょっとする。スーツ姿のサラリーマンの屍が積み重なってできた山だからだ。山の中にはパソコンのディスプレイや椅子なども混じり、見る者に自らの職業人生について振り返らせるインパクトを与える。
「いかに働くか=いかに生きるか」であることを実感するのは、最終章の「働く芸術家 乙うたろう/前光太郎の場合」。壺にアニメの少女たちの顔を描いた「つぼみ」シリーズで知られる現代美術家、乙うたろう(前光太郎、1994年~)は、神戸市内の小学校に勤める図工の先生という顔も持つ。乙うたろうとしての作品とともに、図工の授業で子どもたちの参考にと作った立体作品、入学式や運動会の立て看板などを展示。さらに、横に掲示した文章(パネル)では、作者が美術家と教師、家庭人としてどう時間を使うかについての悩みを率直に吐露。その内容は、痛切でありつつ機知に富み、同じ時代を生きる者たちにエールを投げ掛けてくるようだ。
多田羅学芸員は「働くということは人間にとって根源的な行為。働く人を題材とした美術家たちは、時に切実に、時に皮肉を込め、時にユーモアを持って表現してきた。作品が明日を生きていくためのヒントになれば」と話している。