小曽根真が“戦禍を生きるピアニスト”に 舞台『ある都市の死』 12月大阪公演を前に番組で思い語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

小曽根真が“戦禍を生きるピアニスト”に 舞台『ある都市の死』 12月大阪公演を前に番組で思い語る

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 神戸が世界に誇るジャズピアニスト・小曽根真。12月12日(火)と13日(水)、サンケイホールブリーゼ(大阪市北区)で開かれる舞台『ある都市の死』に“戦禍を生きるピアニスト”として小曽根が登場する。同公演に先立ち、ラジオ関西のジャズ専門番組『KOBE JAZZ-PHONIC RADIO』に出演し、リハーサルの様子やミュージシャンとしての思いなどを熱く語った。

※聞き手:広瀬未来(トランぺッター、『KOBE JAZZ-PHONIC RADIO』パーソナリティー)

小曽根真(左)と広瀬未来(右)
小曽根真(左)と広瀬未来(右)

☆☆☆☆☆

▽「8割くらい即興」

【舞台『ある都市の死』は、映画『戦場のピアニスト』(2002年公開)の主人公のモデルとしても有名なユダヤ系ポーランド人ピアニスト、ウワディスワフ・シュピルマンの実話を基にした物語。小曽根はシュピルマンに重なる存在としてステージ上に現れ、戦争によって破壊されていく街の様子をピアノで表現する。ダンスパフォーマンスグループ「s**t kingz」(シットキングス)の持田将史と小栗基裕が共演、演出家の瀬戸山美咲が上演台本と演出を担当している。】

――『ある都市の死』について、くわしく教えてください。

第2次世界大戦下、ポーランドのワルシャワが舞台。僕はピアノで、(持田と小栗は)役者としてせりふを言い、情景や感情をダンスで表す。僕は2人に刺激を受けて演奏するので、8割くらい即興になると思います。曲は主に2曲で、1つはショパンの遺作となったノクターン。あと1曲はシュピルマンのオリジナル曲で、クラシックのテイストだけどジャズのイメージもあるような画期的な曲です。

――なるほど。

僕がシュピルマンに見えるシーンもあるし、ワルシャワという街自体になる場面もある。シュピルマンの家族はアウシュビッツ強制収容所に連れていかれ、生きているか死んでいるかも分からない状態です。シュピルマンが「なぜ自分は生き残っているのだろう」と考えている時にドイツの将校と出会う。「僕はピアニストです」と言って、そこにあったピアノを弾いたら、彼は殺されなかった。将校は音楽が大好きな人だったのです。でも終戦になったとたん、将校はソ連に連れて行かれてしまう。結局戦争は、上に立つ人たちが決めてやって、平民は巻き込まれていくもの。世界的には戦争をしたい人はほとんどいないはずなんですよ。

――たしかにそうですね。

その部分を皆で共有できたらと思います。21世紀になっても戦争は各地で起こっている。対岸の火事ではなくて、人任せではなくて、僕らが一人ひとり考えるきっかけとなるような作品になれば。いい芝居は、役者と演出の力で観客がその世界に引き込まれていく。今回、ダンスというある意味抽象的なメソッドと、言葉がない音楽がコラボすることで、ケミストリーが起こる。そこからお客様にぐぐっと物語に入っていってほしい。

――リハーサルはもう始まっているのですか。

脚本読みを3回ほど。僕はピアノも弾いています。

――持田さんと小栗さんはびっくりしていませんか?

(演奏が)毎回違うからね。僕ら一番困るのは「同じように弾いて」でしょう? 彼らがすごいなと思うのは僕がポーンと一音鳴らすだけで次のせりふの音が変わる。まるきりジャムセッション。

――すごいですね。

動きもダンスも変わる。

――それこそジャズライブと同じで、何公演か見に行くと……

全部違います。

――面白い。

その時の流れで弾きたくないと思ったら、僕は弾かないかもしれない。そうすると「無」という音楽になるから、彼らはそれを受けて台詞の言い方が違ってくると思います。

舞台『ある都市の死』メインビジュアル

▽モーツァルトにシンパシー

――今回の舞台だけでなく、いろんなことにどんどんチャレンジしておられる。

気が多いんです。

――クラシックも。最初はクラシックではなかったでしょう。

5歳の時にバイエルやらされていっぺんにピアノが嫌いになった(笑)。ドレミを弾く時、ドは親指で弾きなさいと言われて、「なんで。どの指でもええやないの」言うて、先生とけんかになった。

――何でピアノに戻ってきたのですか。

オスカー・ピーターソン! 僕はずっとハモンド(オルガン)弾いていたから。12歳の時に「絶対おもろいから行ってこい」と言われてオスカー・ピーターソンの来日公演に行ったんです。大阪厚生年金会館の一番前の席。演奏にノックアウトされて涙がぽろぽろ出た。帰宅しておふくろに「今日からピアノが好きになったから先生探してくれ」と頼みました。

――だいたい、クラシックから始めてジャズに入る場合が多いですが。

(クラシックとの出合いは)運命でした。札幌交響楽団の定期演奏会に呼んでもらった。「僕を呼ぶんやから(曲目は)『ラプソディ・インブルー』やろう」と思い込んで引き受けたら、マネージャーが「モーツァルト言うてはりますよ」と。「それは無理や」と電話を掛けて、「曲を替えてださい」とお願いしたが断られた。それで生まれて初めてCDショップのクラシックコーナーに行って19枚組くらいのモーツァルト全集を買いました。その中の27曲を全部聴いて、(演奏プログラムに)9番を選んだ。それが2003年。ちょうど20年前です。

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