神戸はベビーカステラを「玉子焼」と呼ぶ なぜ? 勘違いし“弁当用おかず”として買い求める人も | ラジトピ ラジオ関西トピックス

神戸はベビーカステラを「玉子焼」と呼ぶ なぜ? 勘違いし“弁当用おかず”として買い求める人も

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 お祭りや神社の縁日で、ずらりと並ぶ屋台の数々。心躍る屋台の中でも、ふわふわで食べやすい「ベビーカステラ」は、見かけるとついつい買いたくなってしまう定番の屋台フードですよね。そんなベビーカステラ、実は「ピンス焼」や「松露焼き」など、地域によって呼び名はさまざま。呼び名によって出身地がばれてしまうほどバラエティに富んだベビーカステラの呼び名ですが、兵庫県神戸市では「玉子焼」が有名なのです。

 なぜ「玉子焼」なのか、おかずの「玉子焼き」と関係はあるのか……。神戸市で「玉子焼」という呼び名が浸透するきっかけとなった店「加島の玉子焼」の4代目・加島重見さんに話を聞いてみることに。

お祭りや縁日で必ず見るといっても過言ではないベビーカステラ(提供=加島の玉子焼)

「加島の玉子焼」の歴史は、約100年前に初代店主である加島繁蔵さんが、神戸市の湊川神社でベビーカステラを売っていた人からカステラ焼きの機械を購入し、露店商を営んだことから始まります。

「商品名の『玉子焼』は、私の祖父である2代目が名づけました。さらに、ただの『玉子焼』から『加島の玉子焼』に変更したのは40年前のことです。玉子焼が有名になるにつれ、同じ呼び方で販売する店が増えたので、差別化を図るため『加島の玉子焼』として販売するようになりました」(重見さん)

ベビーカステラ、地元ではなんと呼ぶ?(提供=加島の玉子焼)

 繁蔵さんは戦時中の厳しい時代でも高砂市や宝塚市、さらには四国地方にまで足をのばし玉子焼を売っていたといいます。営業を続けていくうち周辺地域でベビーカステラは「玉子焼」という名で浸透するように。約10年前、「加島の玉子焼」は代替わりを機に長田神社の横に常設店舗を構えました。そこから祭での屋台営業は縮小し、現在は毎月20・21日に須磨寺でのみ露店営業をおこなっているそう。時には列ができることもあり、「加島の玉子焼」は今や単なる“屋台おやつ”というだけでなく、地元民や観光客から愛される名物となっていることがうかがえます。

 玉子焼という呼び名の由来については、「今となっては、由来ははっきりしません。あくまでも自論ですが、“卵をたくさん使っていたから”もしくは“卵の形に似ているから”ではないかと。当時、卵は貴重品で庶民が簡単に食べられるシロモノではなかった。そのため卵料理自体が今のように一般的では無かったと思います。したがって、おかずの方の『玉子焼き』と紐付けしてはいないと思います」と重見さん。

2013年に常設店舗がオープン(提供=加島の玉子焼)

☆☆☆☆

 重見さんによると、おかずの「玉子焼き」と間違えて弁当用に買いに来る人もたまにいるのだとか。「多いときには毎日ひとりふたり来ることもありましたね。冗談ですが、出し巻きの販売も考えたりしました(笑)」と、意外なエピソードを教えてくれました。

(取材・文=つちだ四郎)

◆加島の玉子焼(店舗)
653-0812
兵庫県神戸市長田区長田町3-2-1
営業時間 10時~19時
加島の玉子焼 公式サイト
Instagram

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