三島由紀夫、野坂昭如、石原慎太郎……昭和の文学界を席巻し世界的な注目を浴びた文豪たちが、実はレコードを出していたのは知っていましたか? 今回は昭和の文豪たちが残した貴重な楽曲を、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』2023年11月17日放送回より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 この番組では以前、昭和の俳優やお笑い芸人、スポーツ選手の楽曲を紹介してきました。当時は歌手以外の音楽活動も活発だったんですね。そこで今回は昭和の作家たちが残した楽曲を一挙紹介したいと思います。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 やはり作家の方たちもたくさんのレコードを発表していたのでしょうか?
【中将】 それが案外少ないんですよ。今よりも作家の社会的地位が高かったり、どちらかというと人前に出たくない斜に構えたタイプの人が多いからなのかなと思うんですが。
【橋本】 昭和の作家の方って、“センセイ”というイメージですもんね……。
【中将】 でも何人かは出たがりで音楽活動をしていた人もいるわけです。まずお聴きいただきたいのが三島由紀夫さんの『からっ風野郎』(1960)。同名の主演映画の主題歌で作詞、歌唱を担当しておられます。『仮面の告白』、『潮騒』、『金閣寺』などの作品で大文豪として知られる三島さんですが、実はいろんな芸能活動に手を出しているんです。
【橋本】 「からっかぜ野郎……!」という語りが独特ですね……。
【中将】 絶妙でしょう(笑)。三島さんはこれ以外にもいくつかのレコードを残していますし映画への出演も多いですね。表現家として実演という部分にも関心が強かったんでしょうね。
【橋本】 アクティブな作家さんだったんですね! 『からっ風野郎』はかなりレアな曲だと思うのですが、中将さんはどうやってこれを知ったんですか?
【中将】 僕は三島さんのこと、けっこう好きなんですよ。10代から20代にかけていろんな作品を読んだりコレクションしていました。三島さんって作家としてすごい世界観を築き上げているけど、それだけに飽き足らず自ら歌ったり役者をしたり、ちょっとお調子もの、お茶目な部分も垣間見えるのが魅力です。そういうアクティブすぎる部分が、晩年の盾の会の活動や自決事件につながってしまうのかもしれませんが……。
【橋本】 今回のテーマはかなりディープで聞きごたえがありますね……。お次はどんな曲があるのでしょうか?
【中将】 次は野坂昭如さんの『マリリン・モンロー・ノー・リターン』(1971)。アニメ化された『火垂るの墓』などの作品で知られる野坂さんですが、実はそもそもシャンソン歌手志望。この曲や『バージン・ブルース』(1974)はいろいろカバーもされていて、アングラ界隈では有名な楽曲です。
【橋本】 「この世はもうじきおしまいだ あの町この町鐘がなる……」 すごいインパクト! なんか爪痕を残そうとする気合いがひしひし伝わってきます!
【中将】 この雰囲気は野坂さんしか出せないでしょうね。『火垂るの墓』のアニメしか知らない人が聴いたら驚くかもしれませんが(笑)。
【橋本】 実は私もそうなんですが、見事にびっくりしています。野坂さんは作詞も手がけられたんですか?
【中将】 それがご自身が歌われる曲はほとんど他の作詞家が書いているんですよ。歌手業と作家業では意識を分けておられたのかもしれないですね。ただ、作詞家としていくつかの童謡やCMソングや企業ソングを手がけていて、あの『おもちゃのチャチャチャ』(1959)も野坂さんの作品です。