この時期、伏見稲荷大社の5基の神輿が、東寺の東にある御旅所から伏見稲荷大社に戻る際に東寺に立ち寄り、僧侶による神饌の献供(神供)が行われた。実に4年ぶりの儀式だった。
東寺と伏見稲荷大社とは不思議な縁がある。
東寺・五重塔建立の際、困難を極めた。資材に稲荷社(現在の伏見稲荷大社)がある稲荷山から切り出された神木があり、時の淳和天皇が病に冒され、工事は中断した。鎮座している稲荷神が激怒し、その祟りだったとされている。
朝廷は稲荷神の怒りを鎮めるため、稲荷社に勅使を遣わせて、「従五位下」の神階を授けたという。これにより天皇の病は治癒し、東寺と伏見稲荷大社との深い関係が生まれ、神仏習合のひとつの形が築かれた。
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小説「空海の風景」を記した作家・司馬遼太郎(1923~1996)は、 毎年暮れから正月にかけて京都のホテルで過ごし、知人から連絡があると、「東寺の御影堂の前で待ちましょう」と約束したという。
司馬氏が記したエッセイ『古往今来』(中公文庫) 、『司馬遼太郎が考えたこと8』(新潮文庫) 収録の「歴史の充満する境域」によると、「京都の社寺歩きは、平安京の遺構が残る東寺こそが出発点にふさわしく、住居建築としても京都御所よりはるかに古い御影堂を見て行くのが、京都への礼儀だと」述べている。さらに「空海に対する私の中の何事かも、御影堂とのなじみと無縁でないのかも」というくだりは、空海や東寺に向けて「お大師さん」、「弘法さん」への畏敬の念を表現したのだろう。
「暖冬とはいえ、時折やって来る冷え込みは厳しいものです。さあ、清水(清水寺)から北へ上がって大原の三千院でも。凛とした冬の京都を感じるには一番ですな」。今年最後の「弘法さん」、司馬さんの声が聞こえてきそうな、東寺の暮れの風景でもある。1200年という節目に、取り戻した賑わいがあった。