―――当時、人々は「プリントゴッコ」でどのように年賀状を作っていたのでしょうか?
【橋本さん】 手書きでイチから版をデザインする人もいましたが、多くは当社が販売していた「イラスト集」を文房具店などで購入して作っていただいていました。毎年、その年の干支をあしらったデザイン集を販売していたのですが、年末になるとイラスト集を求めて文具屋に列ができる、なんてこともよくある光景だったそうです。そのため、自分と同じデザインの年賀状が友人から届くということもよくあったのだとか(笑)。ほかにも、漫画家さんやデザイナーさんが「プリントゴッコ」用のデザインを独自に作成・販売することもあったそうです。
―――その後の人気ぶりは?
【橋本さん】 その後も人気が衰えることはなく、販売から10年が経った1987年には年間売上72万台を記録。さらに、販売開始から約20年が経過した1996年には累計販売台数1000万台を達成。文字通り、一家に一台置いていただいていたのだろうと思います。
しかし、2000年代に入ってパソコンや家庭用プリンターが普及したことで徐々に需要は減っていき、2012年に消耗品も含めてすべての製造が終了しました。
―――現在は?
【橋本さん】 残念ながら、同商品の製造終了後は一般のお客様向けの商品は取り扱っておりません。しかし、「プリントゴッコ」で培った技術をいかし、学校などで使用される印刷機「リソグラフ」や、“印刷ゴッコ”からさらに進歩した「ゴッコプロ」という商品を販売しています。ハガキだけでなく、ポスターのような大きな紙やTシャツなどの布製品にも印刷するための版を作成する製版機として、多くの“プロ”の方々にご使用いただいております。
☆☆☆☆☆
昭和の年賀状作りに、革命を起こした印刷機「プリントゴッコ」。年賀状全盛期の日本を長きにわたって支えてきた商品として、製造が終了した現在も、手作り感のあるあの温かいデザインを惜しむ声がたびたび届くそうです。令和の時代にこそ、大切な人には「プリントゴッコ」のような手作りの年賀状で思いを届けるのもいいかもしれません。
※ラジオ関西『Clip』2023年12月28日放送回より
(取材・文=藤田慶仁)