明石・大蔵海岸砂浜陥没事故22年 「悲しみに終わりはない」丸谷聡子市長ら献花、安全の継承誓う | ラジトピ ラジオ関西トピックス

明石・大蔵海岸砂浜陥没事故22年 「悲しみに終わりはない」丸谷聡子市長ら献花、安全の継承誓う

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 2001年12月に兵庫県明石市の大蔵海岸で起きた砂浜陥没事故の発生から22年を迎えた30日、丸谷聡子・明石市長と市幹部5人が事故現場を訪れ、献花した。

献花のため大蔵海岸を訪れた丸谷・明石市長と市幹部5人<2023年12月30日午前 兵庫県明石市>
「事故の風化を防ぎ、市職員が安全への意識を高めるのは喫緊の重要課題」

 事故は東京から帰省していた金月美帆ちゃん(当時4歳)が父親の一彦さんと大蔵海岸を散歩している時に起きた。海岸の人工砂浜が約2メートル陥没し、美帆ちゃんは砂に埋まって生き埋めとなり、搬送された病院で意識が戻ることなく、翌2002年5月に亡くなった。

事故現場・大蔵海岸北側のモニュメント「愛しい娘(こ)」
7月21日の朝霧駅歩道橋事故、12月30日の大蔵海岸砂浜陥没事故 いずれも明石市にとって忘れてはならない

 事故から22年経ち、職員の世代交代や入れ替わり、教訓の継承が課題となっている。丸谷市長は「市長就任から8か月、改めて市民の命と安全を守ることが、行政として一番大切な責任だと感じている。
(自身も)娘を持つ親として、ご遺族はどれだけ辛い思いで過ごされたのかと思うと、悲しみに終わりはないと心から思う」と話した。

 事故発生から22年、市職員の世代交代も進んでいる。丸谷市長は若手職員に対して、先輩職員からしっかり伝えていく重要性も訴えた。
 とりわけ、土木や建築などの技術系職員の育成を課題に挙げ、街の安全を求める市民の声にも応えていきたいと気を引き締めた。

 明石市によると、新型コロナウイルス感染拡大の影響で中断していた技術系職員の自主的な研修が、2019年以来4年ぶりに再開したという。

献花し手を合わせる丸谷聡子・明石市長<2023年12月30日午前 兵庫県明石市・大蔵海岸>
「市長として市民の命を守るため、安全対策の継承に努める」と誓う

■明石・大蔵海岸 砂浜陥没事故
 2001年12月30日、明石市の大蔵海岸で会社員金月一彦さんと、長女の美帆ちゃん(当時4)が散歩中、人工砂浜が約2メートル陥没。美帆ちゃんが生き埋めとなり、翌年2002年5月26日に死亡した。 土砂がすき間から海に流出するのを防ぐゴム製の板に穴が開き、砂浜の下に空洞ができたのが原因とされる。
 兵庫県警は2004年、国土交通省近畿地方整備局姫路工事事務所(現・姫路河川国道事務所)の担当者と明石市の当時の海岸・治水管理担当者ら4人を業務上過失致死容疑で書類送検し、神戸地検が在宅起訴した。
 1審・神戸地裁は2006年、事故の予見可能性を認めずに全員に無罪判決を言い渡した。しかし2審・大阪高裁は2008年、一転して4人の予見可能性を認め、1審判決を破棄し、審理を差し戻した。
2010年10月に始まった差し戻し審で、神戸地裁は「砂浜陥没を予測できたのに注意を怠り、結果を回避する措置も取らなかった」などと指摘、4人は逆転有罪判決を受け、2014年に禁錮1年、執行猶予3年の判決が確定した。

「愛しい娘」の像は大蔵海岸で無邪気に遊ぶ子どもたちを見守っている
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