近代大阪で活躍した女性画家たちの優品を集めた展覧会「決定版! 女性画家たちの大阪」が大阪中之島美術館(大阪市北区)で開かれている。女性の社会進出が制限されていた時代、絵を描くことで個性と才能を開花させた女性画家約59人による186点(前後期合計)を鑑賞できる。2月25日(日)まで。
19世紀後半から20世紀半ばにかけ、大阪を拠点に数多くの女性画家たちが目覚ましい活動を行っていたことは、全国的にも注目されていたという。その契機の1つは、1912年(大正元)年、大阪府堺市生まれの島成園(しま・せいえん)が20歳にして「文部省美術展覧会」(文展)に入選したこと。成園の成功に触発され、世代の近い女性画家がそれぞれの画才を磨き、多彩な作品を生んだ。
展覧会第一章では、「先駆者」と題し、成園を特集。「萩美人」(大正前期)、「影絵之図」(大正8[1919]年ごろ)などの端麗な美人画をはじめ、右頬にあざがある女性を描いた「無題」(大正7[1918]年)、世紀末美術を思わせる退廃的な雰囲気の「伽羅の薫」(大正9[1920]年)まで、多彩な成園作品約40点が並ぶ。とりわけ印象的な「無題」は、その後描かれた「自画像」(大正13[1924]年)と似ており、「無題」もまた自身を表したとみられる。成園の顔には実際はあざはなかったが、「痣(あざ)のある女の運命を呪ひ世を呪う女の心持を描いた」(成園)といい、同美術館の小川知子研究副主幹は「画家として扱われるより先に女性であることに注目され、世間から好奇の目を向けられる違和感を、あざとともに生きる女性像に託したのではないか」と考察する。
成園に続き、岡本更園(おかもと・こうえん)、木谷千種(きたに・ちぐさ)、松本華羊(まつもと・かよう)がいずれも20歳代前半までに文展に入選。4人は大正5(1916)年、井原西鶴「好色五人女」をテーマとした「女四人の会」展を開催した。第二章では4人が手掛けた多彩な美人画のほか、夭逝した弟を思い、格子越しにその姿を眺める娘に自身を重ねた「をんごく」(木谷千種、大正7[1918]年)や棄教を拒否して処刑を待つ遊女を描いた「殉教(伴天連お春)」(松本華羊、大正7[1918]年ごろ)など、人物の心情がにじむドラマチックな作品も紹介。若い4人が展覧会場で並ぶ貴重な写真からは、絵描きとしての自信が伝わってくる。
そのほか文人画(南画)の分野で活躍した河邊青蘭(かわべ・せいらん)、大阪・天王寺に生まれ、郷土の歴史や風俗をこまやかな筆致で描いた生田花朝(いくた・かちょう)の作品も。河邊は画塾で後進の女性に絵を教え、大阪の女性画家の裾野を広げていった。