もう一軒、阪急沿線に「芦屋軒」という大正末期創業の精肉店があります。現在は牛肉加工品を軸に展開されており、開店前から同店名物の「牛肉佃煮」目当ての列ができています。
この佃煮は、やわらかい食感とお肉の旨味、生姜の風味と甘辛さでごはんが進むおいしさです。厳選したお肉を丁寧に仕込んで手炊きしていることから大量生産が難しく、週の前半に仕込みをして、週末だけ販売しています。完売前に確実に欲しい方が開店前から並んでいるんですね。
小川洋子氏の小説で、昭和40年代の芦屋を舞台にした「ミーナの行進」という作品にも、主人公の少女がお使いで進物用の佃煮を買いに行く場面が書かれていますし、昔から芦屋に住まれている方に聞くと「芦屋のご進物なら芦屋軒の佃煮」と答えるほど、自信をもっておすすめできる良いものとして認識されています。
以前、新神戸駅で開催された兵庫県の物産展をお手伝いしたことがあるのですが、上品な高齢のご婦人が芦屋軒の牛肉佃煮を見て「子供の頃芦屋に住んでいたんです。よくいただいたので、本当に懐かしい」と涙ぐんで購入していかれたこともありました。
なぜこんなに列を作るほど牛肉にこだわりがあるのか? 竹園や芦屋軒が大正末期、あるいは昭和の戦後から親しまれていることからもわかるように、芦屋の人は気に入ったお店を長く愛用する傾向があります。但馬牛・神戸牛をはじめとした品質のいい牛肉を買うことができる精肉店が地元に根付き、「ここのおいしさは間違いない」と言える良いものにはお金と時間を使うことを厭わないのではないかと感じました。
見慣れた行列からも、芦屋らしさを垣間見ることができたように思います。
(取材・文 = 株式会社芦屋人 杉本せつこ)