昨年(2023年)5月、惜しまれつつも営業を終了した神戸市の水族館「神戸市立須磨海浜水族園」。前身の「須磨水族館」から数えると、60年以上の歴史がありますが、実は神戸にはもっと前から水族館がありました。皆さんは、日本初の水族館が神戸にあったことをご存じですか?
神戸にあった日本初の水族館など、神戸の水族館の歴史について、元須磨海浜水族園飼育支配人で、現神戸須磨シーワールド施設担当支配人の馬場宏冶さんに話を聞きました。
本格的な水族館を「生き物が入った水槽に、水を循環させるポンプ、ろ過装置を通した循環装置がある施設」と定義したとき、1897(明治30)年にできた神戸市の「和田岬水族館」が日本初とされています。当時の和田岬水族館には、大小30余りの展示水槽が設置されており、主に瀬戸内海で取れる魚介類が展示されていたそうです。1882(明治25)年にも東京の上野動物園では人力で水の入れ替えを行っていた「観魚室(うおのぞき)」というものがありましたが、そこでは循環装置は取り入れていなかったとのこと。
1895(明治28)年に開催された「第4回内国勧業博覧会」で、神戸市では魚を展示する「和田岬水族放養場」を開設。この施設が、「和田岬水族館」の元となっています。和田岬水族館は博覧会向けの水族館でしたが、会期が終了した後も営業を続け、1902(明治35)年には湊川神社の敷地内に移設し、1910(明治43)年まで続いていたそうです。
和田岬水族館の閉館から20年後の1930(昭和5)年、神戸港での海軍の観艦式に合わせて開催された「観艦式記念海港博覧会」で「湊川水族館」がオープン。当時は日本を海外にアピールするため、博覧会が多く開催されていたそう。しかし、太平洋戦争の影響を受け、1943(昭和18)年に閉館。1945(昭和20)年の神戸大空襲で焼失してしまいます。
終戦から12年後の1957(昭和32)年、須磨区に「須磨水族館」が誕生します。当時は、水族館に入ってすぐの場所にウミガメの水槽があり、その上にはシャチの全身骨格があったといいます。
そして、須磨水族館の開館から30年後、施設をリニューアルして1987(昭和62)年に生まれたのが「須磨海浜水族園」でした。
“スマスイ”の愛称で親しまれた市民の憩いの場は2023年5月31日で営業を終えましたが、いよいよ今年(2024年)の6月1日には、そのスマスイの跡地に「神戸須磨シーワールド」がオープンします。同施設では西日本で唯一、シャチのパフォーマンスを楽しめるほか、イルカと直接ふれ合うことができる「ドルフィンビーチ」なども設けられ、神戸の新たな観光スポットとしての期待も高まります。
日本初の水族館が神戸市に誕生してから100年以上が経つなか、人々を楽しませる施設として、神戸の水族館は進化を続けています。
(取材・文=迫田ヒロミ)