「アート&サイエンスフェスティバル」は大阪・吹田市の万博記念公園で、「1970大阪万博展覧会」はこれに関連する神戸、東京の巡回展示で、単なるノスタルジーではない、“現在進行形”の大阪万博を堪能した。
そして、ラジオ関西の取材に対して、レガシー(遺産)として語り継がれる1970年大阪万博と、開幕1年前となった大阪・関西万博を比較して、次のように話した。
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当時のニュース映像や新聞記事、記録集などで振り返れば、高度経済成長期の大成功イベントとして、当時から礼賛一色だったと思われがちな1970年大阪万博でも、実は“ハンパク(反博=反万博)”といった風潮も生まれ、抵抗勢力の行動も活発だったようだ。
そう考えると、賛成派と同じくらい反対派もいるほうが、なんだか健全というか、抵抗勢力の存在をも認める当時の風潮こそ、まさに多様性を表していたように感じる。そういう意味では、今より先を行っていたのかも知れない。
そして、30年後に21世紀を控えたこの時代、”未来への憧れ度合い”はとても高かったように感じたが、その内容は意外にも現実的。数々の映像に見える携帯電話やドーム建築などは、現在すっかり生活に溶け込んでいる。
その一方で、一見突飛に感じられる「タカラ・ビューティリオン」のユニット建築はカプセルホテルに、「サンヨー館」の人間洗濯機は介護用の浴槽としてアイデアが派生するなど、奇をてらったように思われた当時の展示物が、予想もしなかった方向で生き残っていることが、なんだか不思議に感じられる。