これをたいそう喜んだのが家康です。この勝利をきっかけに全軍を一気に進軍させて攻勢に転じ、西軍を追い込んでいくことになります。当時、家康が喜びをしたためて輝政へと送った手紙が今も残っていると、中元氏は話しました。
関ヶ原の合戦での勝利後、家康から姫路城主に任命された輝政。西国防衛とともに、わが国初の世界文化遺産となる姫路城も築いています。「『姫路城といえば池田輝政』というふうに、もっと定着してほしい」と願いを声にした中元さんに、清元市長も「姫路城と池田輝政をもっともっと周知していきたい」と応えました。
(文=西真莉恵)
※ラジオ関西『ヒメトピ558』2024年4月5日、12日放送回より
※参考文献=「姫路市史」(姫路市)、「岐阜県史」(岐阜県)、「西国将軍 池田輝政 姫路城への軌跡」(著:中元孝迪、刊:神戸新聞総合出版センター)、「池田家履歴略記」(斎藤一興)