さらなる調査のため、高田さんは広く協力を求めます。
その中で兵庫県や神戸市の元職員から2000年に閉校になった神戸市立神戸商業高校から搬入されたとの情報を得ます。
ここで思わぬ偶然が。なんと高田さんの義母が神戸商業高の卒業生。すぐに連絡をして卒業アルバムを確認してもらいました。すると……、
矢穴らしきものが確認できる写真が見つかりました。高田さんは園銘石と比較し、アルバムが撮影された1970年代には「神戸商業高の庭石だった」と特定するにいたります。
「(市立神戸商業高のあった)住吉川流域は早くから開発が進み、石切り場がよくわかっていない。誰がどのように石切り場を確保し大坂城に向け運んだかさらなる解明につながっていくはず」と高田さんは力説します。
大坂城の石垣になるはずが、高校の庭石になり、今では多くの来園者を迎える舞子公園の園銘石。今後はどのような歴史を語ってくれるのでしょうか。
※ラジオ関西『Clip』2024年4月17日放送回より