《JR福知山線脱線事故19年》「ようやく芽吹く、恩送り」負傷者と家族を支えて 三井ハルコさん | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《JR福知山線脱線事故19年》「ようやく芽吹く、恩送り」負傷者と家族を支えて 三井ハルコさん

LINEで送る

この記事の写真を見る(6枚)

 今年も、4月25日がめぐってきた。三井さんは「一定程度、記憶が薄らぐことは仕方ない。しかし、『こんなものだ』と諦めてはいけない」と願う。
 ペイフォワード(Pay it forward)という言葉がある。自分が受けた善意をつないでいくことを意味し、三井さんは「恩送り」と訳している。

 阪神・淡路大震災の前年(1994年)、三井さんは脚の手術のために緊急入院した。その時、ある女性が身の回りの世話をしてくれた。嬉しさの反面、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。「何もお返しができない…」かえって気を遣っていた。それを察した女性は「そんなこと、気にしないで。私に何かを返そうとするから気持ちがしんどくなる。全快して気持ちが落ち着いたら、どなたかに返してくれたら」と声をかけてくれた。救われた気がした。
 1年後に起きた震災の時も、手術後、完全に復帰できなかった三井さんは「恩送り」ができなくて悲しい思いをした。そして10年後、脱線事故が起きた。次女が負傷したからではなく、今度は負傷者とその家族のケアを考え、今度こそはと、19年にわたる「恩送り」を続けている。

安心・安全への思いを「空色の栞」に託し、メンバーが一丸となりリボンをつける<2024年3月2日>

 そして、「JR西日本の社内体質が、『お互い(乗務員、従業員)どうしをいたわりあう』ものだったら、この事故は起きなかったかも知れない」と話す。過密なダイヤの中、オーバーランなどで遅延を招いてしまうと、当時のJR西日本では「日勤教育」という懲罰が待っていた。

 恩を送り、互いを尊重する社会。「時代の潮目を迎えているような気がする。安心・安全な社会を本当に構築するのはこれから」。節目となる20年を前に、何をすべきかを見出した三井さんの優しい笑顔の奥に、鋭い視線が見えた。

LINEで送る

関連記事