「タンタンも頑張る、ボクも…」10歳の少年、車いすで涙止まらず そして飼育員との最後の時間は… | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「タンタンも頑張る、ボクも…」10歳の少年、車いすで涙止まらず そして飼育員との最後の時間は…

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 神戸市立王子動物園(神戸市灘区)で約24年間親しまれ続けた日本最高齢のメスのジャイアントパンダ「タンタン(旦旦)」。

美味しそうに笹を食べるありし日のタンタン

 2024年3月31日に死亡した。病には勝てなかった。28歳。人間ならば100歳近い。阪神・淡路大震災で傷ついた神戸の街と、そこから立ち上がろうとする人々を元気づけるため、“ミレニアムイヤー”の2000年に中国からやって来た。

 そのタンタンが亡くなり約1か月半。5月10日には一般公募で選ばれた市民100人が追悼セレモニーに参列、別れを惜しんだ。実に倍率は40倍だった。

タンタン追悼式 子どもたちが「タンタンありがとう」とメッセージを送った<2024年5月10日 神戸市灘区>
弔辞を読み上げるタンタンの飼育員の1人・吉田憲一さん「たまにはどんな形でもいいから、会いに来てくれたら…またね」声を詰まらせた

 セレモニーから4日後、16年間タンタンの飼育員を務めた梅元良次さんがラジオ関西の取材に応じた。「まだ整理がつかない」と遠くを見つめた。

「(心臓治療のための)薬を飲まなくなった最後の2週間が忘れられない」。体力が衰え、日に日に元気がなくなっていくタンタンの最後の”生きざま”。まさに「生」と向き合った。

 タンタンは2000年7月、ジャイアントパンダの日中共同飼育繁殖研究のために中国・四川省から来日。2021年に不整脈など心臓疾患の症状が見つかり、日中双方の専門家による治療に専念するため、2022年3月から一般公開を取りやめていた。

 2024年3月中旬から液体の栄養食も摂らなくなり、食欲低下が続いていた。園はいったん、X(旧ツイッター)への投稿を休止していた。

「竹に関してすごくうるさい、難しい子でしたよ。こだわりが強かったんでしょうね。『これはいらない、あれはいらない…。この部分を少しだけ食べるから、そのほかはいらない』というふうに。かと思えば次の日、同じ竹の部分を与えても食べなかったり……」。それも梅元さんにとっていい思い出だ。

タンタンと接する梅元さん(手前)<2023年1月7日撮影> ※画像提供・王子動物園

 心臓の病気が見つかった時、梅元さんや同僚の飼育員・吉田憲一さんは、どうしていいのかわからなかった。タンタンがこの病気と向き合わなければならないことはわかっていた。獣医の所見やさまざまな文献に目を通した時、死と直面することになるという覚悟はできていた。それだけに、タンタンを可能な限り快適な環境で過ごさせてやりたかったし、王子動物園全体で話し合う機会が増えた。

「生」あるものは、必ず最後がある。それはわかっている。梅元さんは、その「生」を伝えるために「きょうのタンタン」という投稿を続けた。「見てくださった人たちに、ポジティブな気持ちになってほしかったから」と梅元さんは言う。

追悼式で弔辞を読み上げる梅元さん「もうあなたに大好きな竹を選んであげられない。でも、よく頑張ったね」
「神戸のお嬢さま」最後の3年は飼育員、獣医とともに“生”と向き合った

 しかし、日に日に弱っていくタンタンの姿を、このまま発信するのは難しいという苦渋の決断をした。梅元さんいわく、「ご覧になる方々に、ネガティブになってほしくなかった」という気持ちからだ。

”生きる力”を与える動物園で従事する立場だからこそ、Xへの投稿を自重した。


◆この記事の内容はラジオ関西ポッドキャスト【ニュースの景色】からもお聴きいただけます。
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神戸市立王子動物園 公式サイト

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