日本経済の絶頂と言われる「バブル期」。みんなが好景気に浮かれ、トレンディでアゲアゲだったと言われるあの時代、日本人は果たしてどんな音楽を聴いていたのでしょうか? 音楽の流行から見るバブルの世相について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が語り合います。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』より
【中将タカノリ(以下「中将」)】 「バブル期」とは1986(昭和61)年12月から1991(平成3)年2月まで。ファッション面ではワンレン、ボディコンやDCブランドが大流行して、外車やスポーツカーがバカ売れ。みんな夜な夜なおめかしして、バーやディスコに繰り出したと言います。日本が世界一輝いていたあの時代、人々は果たしてどんな音楽を聴いていたのかというのが今回のテーマです。
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 景気のいい時代をまったく経験してない世代なので、興味津々です!
【中将】 初めにご紹介する曲は時任三郎さんが「牛若丸三郎太」名義で1989年にリリースした『勇気のしるし~リゲインのテーマ~』。栄養ドリンク「リゲイン」のCMソングで「24時間、戦えますか」というフレーズが話題になりました。
【橋本】 当時の人がどれだけ働いてたか伝わりますね! 今ではなかなか難しいフレーズですが……(笑)。
【中将】 今ほど高齢化社会じゃないから、みんな若くて元気があったんですね。お金を稼ぐために一生懸命働いて、その後は全力で遊んで惜しみなく消費していたわけです。みんな未来は絶対に良くなると思ってた時代ですから。
【橋本】 私はそういうのに憧れます。『勇気のしるし』も仕事が忙しいときに聴いたら元気になれそうです(笑)。
【中将】 次もバブルらしいイケイケのナンバーです。安全地帯の『じれったい』(1987)。当時、アメリカで流行していたソウルを取り入れたダンスミュージック調。それまでどこか歌謡曲っぽい雰囲気が売りだった安全地帯にとっては革新的な曲になりました。
【橋本】 踊り出したくなりますね! 玉置さんの声もギラギラしてます。
【中将】 1980年代半ば、ディスコではユーロビートやブラック・コンテンポラリーが大流行しました。ザクっと言うと前者の影響は田原俊彦さん、荻野目洋子さん、Winkあたり。後者の影響は久保田利伸さんやバブルガム・ブラザーズ、玉置浩二さんらに見られます。
【橋本】 やっぱりダンスミュージックって景気のいい時代に流行るんでしょうか?