《明石歩道橋事故23年》遺族の思い「本当は来たくない、でも引き戻されて」「今年も謝りに…」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

《明石歩道橋事故23年》遺族の思い「本当は来たくない、でも引き戻されて」「今年も謝りに…」

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 兵庫県明石市で「市民夏まつり・花火大会」の見物客11人が死亡、247人が重軽傷を負ったJR朝霧駅の歩道橋事故から23年となった7月21日夜、遺族らが現場を訪れて犠牲者を追悼した。

 この日、遺族らは事故発生時刻の午後8時45分ごろ、現場の歩道橋に設けられた慰霊碑「想(おもい)の像」の前で黙とうした。

慰霊碑「想いの像」の前で手を合わせる下村誠治さん(写真手前)ら遺族<2024年7月21日 午後8時45分 兵庫県明石市>

 2歳だった次男・智仁ちゃんを亡くした神戸市垂水区の下村誠治さんは「毎年この日は、当時の壮絶な光景に引き戻される。いつも思うのは、息子・智仁への申し訳ないという気持ち。この場所はいつも、『助けられなくてごめんな』と謝りに来ている」と心の内を語った。

 そして、「次の24年目に向けて、何を伝えていくのか模索は続く。逆に、若い世代の方々に気付かされることもある。時代の流れを読み取り、安全の重要さを語り継ぎたい。これは遺族だからこそできること」と話した。

(左から)遺族の三木清さん・有馬正春さん・下村誠治さん
「想いの像」には多くの花が手向けられた

 7歳の長女と9歳の長男を失った明石市の有馬正春さんは「この事故そのものを知らない人が増えている。風化を止めることはできないが、このように私たちが現場から教訓と再発防止に向けた思いを発信するしかない」と話す。

「本当は、この場所には来たくない。それでも、命日にはこ場所に引き戻される気がする」と話すのは、8歳の次女を亡くした姫路市の三木清さん。2022年10月、韓国・梨泰院(イテウォン)で発生した雑踏事故の遺族のもとを下村さんとともに昨年3月に訪れ、事故の真相究明に奔走した自身の経験を語った。三木さんは続ける。「娘をただの犠牲者にせず、私たちが安全な社会、事故を起こさせない取り組みを続ける」と誓った。

献花し手を合わせる丸谷聡子・明石市長
「オール明石で安全対策を」と語る丸谷市長

 明石市は歩道橋事故と、大蔵海岸砂浜陥没事故(2001年12月30日発生)という2つの大きな事故を経て、この日を「市民安全の日」と定めた。

 献花した丸谷聡子市長は「年々、事故を知らない職員が増えているが、若手職員だけに思いを伝えるだけではない。今年は1985年の日航ジャンボ機墜落事故の遺族・美谷島邦子さん(遺族らでつくる「8.12連絡会」事務局長)を招き、市民に向けて講演会も開いた。『安全は人への優しさから』という言葉が印象的だった。今後は関係機関も交えて“オール明石”で安全対策に取り組みたい」と話した。

「市民安全の日」を前に講演する美谷島邦子さん<2024年7月19日 兵庫県明石市>
日航ジャンボ機事故・遺族会代表の美谷島さん(右)は歩道橋事故遺族の下村さん(左)らとの交流も長い
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