大正時代を中心に、当時の化粧品や雑貨、薬のパッケージ、女性向け雑誌などを集めた企画展「レトロ・ロマン・モダン、乙女のくらし」が大阪くらしの今昔館(大阪市立住まいのミュージアム/大阪市北区)で開かれている。現代でも人気を集めそうなかわいくておしゃれなデザインを通して、100年前の“乙女”たちの美意識や価値観を感じ取ることができる、心躍る展覧会だ。10月14日(月・祝)まで。
同展は、商業デザイン研究家、佐野宏明さんのコレクションをベースに、老舗化粧品メーカーなどの協力を得て実現。女性たちが社会での存在感を増していった明治時代後半から昭和初めにかけて、彼女らの身近にあった品約1200点の多彩な意匠を楽しめる。
化粧水の歴史は江戸時代までさかのぼるが、近代的な化粧水の始祖は1878(明治11)年に発売された「小町水」。続いて「キレー水」、「テキメン水」と、いずれも美容効果が高そうなネーミングの商品が売り出された。ニキビ対策用化粧水「にきびとり美顔水」(桃谷順天館)もその1つで、現在も愛用者が多い130年以上の超ロングセラー商品だ。展示では、それぞれの化粧水が入っていた趣のあるガラス瓶が並ぶ。
大正時代、その人気ぶりを「西のクラブ、東のレート」と称された2大化粧品メーカーのコーナーも。「クラブ」は、明治36(1903)年、神戸に設立された「中山太陽堂」のブランド名で、頭に花を乗せた2人の女性が並ぶ「双美人」のシンボルマークは、現在の同社である化粧品メーカー「クラブコスメチックス」に受け継がれている。当時ヨーロッパで流行していたアールヌーボー調デザインの白粉(おしろい)箱や色とりどりの花が描かれた円い容器は、一つ一つが美術品のよう。図解広告「淑女式お化粧の順序」は、同社の製品を順に使っていくと、最終的に「美人」に到達するという図で、作成者のユーモアセンスが光る。
カラフルで多彩な柄の白粉容器コーナーは、百花繚乱の様相。女性の職場進出に伴う、化粧法の多様化「ねり白粉…一般的な厚化粧→粉白粉…薄化粧や早化粧時の基本→紙白粉…外出時、化粧崩れの補修用」(濃い化粧法順)も紹介されていて、当時もTPOに合わせた合理的な化粧法が求められていたことをうかがわせる。