広大な浜寺公園の南端にあたる「羽衣」。かつては駅周辺に大型旅館が数多くありましたが、いまは高層マンションが立ち並ぶようになりました。3番線から2両編成の2230系が出発。昼間は20分おきの運行です。この路線、かつては海水浴場でもにぎわい、「難波」から直通電車も走っていました。
すぐに本線に別れを告げ、右に大きくカーブ。高師浜線はすべて高石市内を走ります。
唯一の中間駅「伽羅橋」(きゃらばし)は、大正時代に高級住宅地として開発されました。駅前にはかつて公園がありましたが、撤去され今は駐輪場に。また駅前商店街もシャッター街となり、カステラの銀装の工場だけが目立っていました。そして駅名の由来となった伽羅橋は、臨海工業地帯の中にある高砂公園に今は移設保存されています。
「羽衣」から乗車わずか5分で終点「高師浜」に到着。大正8年(1919年)開業の趣のある洋館の駅舎。構内にある浜千鳥をモチーフにしたおしゃれなステンドグラスが目に飛び込んできます。
ここはもともとロシア兵の捕虜収容所や陸軍の宿舎だった跡地を住宅開発した場所なんです。当時の高級住宅地はだいぶ面影がなくなってますが、閑静な住宅地として残っており、年中滑走可能なアイススケート場を持つ大阪府立臨海スポーツセンターもすぐ近くにあります。また海まで歩けば冬空に映える美しい工場夜景を楽しむこともできるんです。
つまり、多奈川線は、戦時中の川崎重工の従業員輸送と、四国・淡路連絡の航路接続のため。また、高師浜線は捕虜施設や陸軍宿舎の後にできた高級住宅地への輸送のため、それぞれ誕生した路線だったというわけです。
この2つの南海の超ミニ路線、そんな歴史を思い浮かべながら、のんびりとぜひ一度乗車してみてください。(羽川英樹)