筒美京平が生みの親!? 誰もが知っている西城秀樹や岩崎宏美の名曲も… 昭和に流行したディスコ歌謡 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

筒美京平が生みの親!? 誰もが知っている西城秀樹や岩崎宏美の名曲も… 昭和に流行したディスコ歌謡

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 1970年代から80年代にかけ流行したディスコ歌謡。誕生のきっかけや代表的ヒット、現代ポップスシーンへの影響について、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が、ラジオ番組で語り合いました。

※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』より

1970年代から1980年代にかけ流行したディスコ歌謡とは(※画像はイメージです)

【中将タカノリ(以下「中将」)】 『昭和卍パラダイス』の放送が始まって4年目に突入する2025年、“昭和100年”ということで、ますます頑張っていきたいと思います。

 さて、今回のテーマは、昭和のディスコ歌謡。菜津美ちゃんはディスコというとどんなイメージでしょうか?

【橋本菜津美(以下「橋本」)】 うーん……バブルっぽくて、女の子がお立ち台で踊ってる感じ!

【中将】 それは1990年前後の「マハラジャ」「ジュリアナ東京」といった『ディスコ』のイメージですね。日本でディスコは1960年代に登場して、時代にあわせて、さまざまな変化をたどってきました。

【橋本】 そんなに昔からあったんですね! 初期のディスコって、どんな感じだったんでしょうか?

【中将】 それまで若者が踊りに行く場所だった『ゴーゴー喫茶』は、バンドの生演奏が前提でした。でも、ディスコはDJがかけるレコードで踊るというスタイルで始まったんですね。バンドかレコードかって垣根は、その後すぐ崩れちゃうんだけど、それはともかく、1960年代後半になると、東京に「赤坂MUGEN」とかいろんな人気店ができて、芸能人や文化人も集まるカルチャー発信スポットに発展していきます。

【橋本】 今でこそインターネットやSNSで交流や発信ができるけど、当時は人が集まるところからですもんね。どんな音楽がかかっていたんですか?

【中将】 初期はエレキとかロックンロールで、次第にR&Bやソウル、ファンクなど黒人音楽が増えていきます。特に1970年代半ばからはアメリカの音楽番組『ソウル・トレイン』やジョン・トラボルタの映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)の影響で、世界的なディスコ・ブームが発生。日本の音楽シーンでも黒人音楽のリズムを取り入れたディスコ歌謡が大量に作られるようになるわけです。その先駆者が、あの筒美京平さんです。

 筒美さんが送り出した名曲の1つが、浅野ゆう子さんの『セクシー・バス・ストップ』(1976)。

【橋本】 この曲は初めて聴きましたが、めちゃくちゃ踊れる感じ!

【中将】 そもそもは筒美さんが企画したソウルバンド「Dr.ドラゴン&オリエンタル・エクスプレス」のインスト曲としてリリースした曲ですが、約1か月後に浅野さんが歌入りをリリースしました。ちなみに“バス・ストップ”というのは当時アメリカで流行していたソウルステップのこと。“バス・ストップ”を踊れる曲を作ろうということで制作されたんですね。

【橋本】 なるほど! バス停じゃないんですね!

【中将】 これがオリコン・ウイークリーランキング12位と、そこそこのヒットを記録。その後、筒美さんは数々のディスコ歌謡を手がけることになっていきます。次に紹介するのは桜田淳子さんで『リップスティック』(1978)。

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