昨年(2024年)、デビューから50周年を迎えた神戸出身の俳優・浅野ゆう子さん(64)が、1月18日に大阪・心斎橋、26日には東京・有楽町で単独ライブ「YUKO ASANO 50th ANNIVERSARY SHOW『KANSYA』」を開催する。
17日に阪神・淡路大震災から30年を迎えるのを前に、故郷・神戸への思いとライブへの意気込みを語った。
浅野さんは1974(昭和49)年、シングルレコード『とびだせ初恋』でデビュー。1年上には、花の中3トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)がいて、同期はテレサ・テンさんや中条きよしさん。そうした中、13歳での芸能界の船出だった。また、国民的アイドル・天地真理さんの人気絶頂期で相当なプレッシャーがあったという。「あっという間の50年。アイドル歌手としては10年あまり。私ってデビューはアイドル歌手だったんだ、としみじみ思う。25歳の時に俳優一本でやっていこうと決意した。でも、スタートは歌手。この半世紀、私を支えていただいた皆さまへの感謝の思いをお伝えしたかった」と話す。
「原点を、懐かしいねぇ〜と言いながら、お祭りのようにワイワイと楽しく、私の半生をお届けしたい」という思いで、自らプロデュースし、最大ヒット曲『セクシー・バスストップ』をメインに、『ムーンライト・タクシー』、『ハッスルジェット』などをスペシャルバンドとともに届ける。 『とび出せ初恋』のほか、『恋はダンダン』などデビュー当時の曲も歌う。
1980年代後半から90年代にかけて、“トレンディードラマ”になくてはならない存在だった浅野さん。「世間はバブル景気で華やかな時代。今やSNSや映像配信の時代でテレビ離れが進む中、テレビが光り輝いていた。もうそんな時代は来ない。トレンディードラマは自分が誇れる宝物」と振り返る。
そして、当時のエピソードもトークに交える。そして、「40代以降、数多くの舞台や映画、そしてテレビドラマ『大奥』まで出演させていただいた。自身の半世紀を振り返ると、やはり、好きだから続けてこられた」と語る。
「私は直接、震災を体験していないが、今も92歳で神戸で過ごしている母から大変だった話を聞き、神戸に寄り添って生きてきた。『がんばろう!』という思いで、全国から神戸という素敵な街にいらしてほしいと発信してきた」と話す。
ことあるごとに神戸でのロケをリクエストした浅野さんが、ある時、山から”100万ドルの夜景が戻ってきているなあ”と感慨深げに眺めていると、「浅野さん、今や神戸は1000万ドルですよ」と言われたという。
「あれから30年経ち、新しい街を作り上げて、今も頑張っていらっしゃる方がたくさんいる。そういう姿を見ると、私も神戸の人間として誇らしい。だからこそ、もっと何かできることがあればという気持ちになった」と明かした。