給食室には、発災当時から止まったままの時計が今も壁にかけられていた。その時計を前に、震災当時の様子を語ってくれる先生もいた。ひびの入ったガラス、動かなくなった針が物語る震災の恐ろしさと、震災後に生まれてきた世代の日々幸せな生活とが、幼心に対称的に思えた。
毎年、学校で行われる追悼式では、慰霊碑の前に全校生徒が集まり、みんなで折った千羽鶴を捧げて黙祷する。
「亡くなった方の分も、毎日を精一杯生きる」と誓った言葉の意味を、当時の自分がどれほど理解していたのか、今の自分もどれほど実践できているのか、自信はない。
しかし、災害はいつ起こるかわからないと理解している。
震災を経験していない世代のひとりとして、「自分にできることはあるのか?」と考えても、正直よく分からなかった。使命感も強くはない。
しかし、漠然と「震災を伝えたい」という気持ちに駆られる時がある。
一番伝えたい相手は、14歳違いのいとこだ。彼女は今年で小学4年生の10歳。芦屋市の小学校では、同じ歳の同窓生が亡くなったと聞いた。
震災で幼い子どもを亡くした両親やきょうだいの悲しみは計り知れない。
去年の元日に起きた能登半島地震、宮崎県沖で起きた地震…災害からは逃れられない以上、「防災」「減災」「縮災」のための日頃の備えを心がけるだけじゃなく、伝えなければならない。
例えば、公衆電話。今やSNSを駆使する時代だが、通信環境が悪化した時に重要な連絡手段となる。しかし、最近の子供は公衆電話に触れる機会がほとんどなく、その使い方を知らない…そんな実態もあるのだ。
最近、「Think globally, act locally」という言葉を好んでいる。「地球規模で考え、地域で行動する」という意味である。これは地震をはじめ、災害全般にも当てはまると思っている。ひとたび大きな地震が起きると、想定される被害は多岐にわたる。交通網の麻痺や通信の断絶など、あらゆる可能性を広く大きく考えながら、日々小さな防災対策を積み重ねることがとても大切だと思う。