明弘さんと同居していた四女・郁子さんによると、明弘さんは昨年10月31日に息苦しさを訴えて救急搬送され、2週間ほど入院していた。退院後も、しだいに食事も喉を通らなくなり、体重の減少が著しくなった。
しかし、1月12日には自宅で恵子さんの65歳の誕生日を祝い、亡くなる3日前までは家族の手を借りて立ち上がることもできたという。普段はなかなか会えないひ孫の顔も見て、苦しまず、穏やかな最期を迎えた。

長女・昌子さん(68)は「父と母は『(拉致問題は)自分たちの代で終わりにする』という固い決意で拉致問題に取り組んでいた」と話す一方、「家庭で拉致問題のことや、恵子のことを話題にすることはなかった」と振り返り、きょうだいに精神的負担をかけないように、という、明弘さんの配慮を感じていたことを打ち明けた。
明弘さんは2019年5月、東京でトランプ大統領(第1次政権)と面会。大統領宛ての手紙をアメリカ政府関係者に渡した。翌月、大統領直筆の書簡が明弘さんのもとに届いた。
その書簡には「明弘、あなたのために全力を尽くしている。安倍首相も同じだ。あなたはきっと勝利する」と書かれていた。

この頃を振り返った昌子さんは、「今度こそ(恵子は)帰ってくると、父も私たちも本当に期待していた。今からすぐに北朝鮮に行って、連れて帰りたい。とにかく生きていてほしい」と話した。

次女・尚子さんは、「父は最後まで、国の行く末を案じていた。拉致問題解決に積極的に取り組んだ故・安倍晋三元首相への感謝の気持ちを忘れず、アメリカ・トランプ大統領の再選を本当に喜んでいた」と述べた。



