落語家の桂米團治 弟子・桂米舞の番組登場でほほえましい師弟関係が 父・桂米朝との思い出も明かす | ラジトピ ラジオ関西トピックス

落語家の桂米團治 弟子・桂米舞の番組登場でほほえましい師弟関係が 父・桂米朝との思い出も明かす

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 米團治さんは「米舞のような境遇から落語の世界に入る人は多い」と感じているそうで、その真意についてこのように語りました。

「噺家になる人の6~7割ぐらいが、人生のどこかで挫折を感じている。グレるギリギリのやつが、人に笑いを提供していくうちに生き様というのを覚えていく。いろいろな先輩・師匠との『おはようございます』からはじまり、楽屋でさまざまなことを教えてもらうなかで、『俺の生きていくスペースはあるんや』と感じていく」(米團治さん)

 さらに、「落語の持つ多彩さがその人にとっての救いになることも理由になるのでは」とも考えていることを明かしました。

「落語は、世の中のいろいろなものがネタになっています。泥棒や不倫、『こんなことも落語になってるんか』というようなネタがある。落語が美しいのは、どんなことをやっても最後は許されるというところにあると思う。究極の愛は“許し”ですから。『もう人生あかん』と思う人が入門を認められて、そこで修行をすることで『これでええんや。生きててよかった』みたいに思える」(米團治さん)

 米團治さん自身、父でもある米朝師匠に「頑張ったな」などの声をかけてもらったことはあるのかと尋ねたところ、「舞台袖に戻ってきたときに、『今日はよかった』とちっちゃい声で」と回顧。

「2回くらいしかなかったんですけど、普段はほめない人なだけに、ちっちゃい声でスッと言うのが無上の喜びに感じました。『ほめられた』『認められた』みたいに思えた」と、父・米朝さんとの思い出を振り返りました。

 今年は桂米朝さんの生誕百年・没後十年ということもあり、『米朝十年祭 米朝一門会』をはじめとしたさまざまな行事が開催されています。

 偉大な父・米朝さんを超える日はくると思うかという問いには、「それはないですね」ときっぱり。「超えたと思うた瞬間に、そう思った本人がもう終わっているというのがオチな気がします」と持論を展開しつつ、「落語にゴールはない」「一生突き詰めていくもの」との信念を語りました。

「今日はウケた、という日はあります。でも、『じゃあもうゴールなの』『100点満点なの』といわれたら、そうじゃないんですよね。何がいいのか、というのを追い続けるというのが落語だと思うので。だから、師匠を超えたなんてことを思った瞬間に、もう終わってるんだなって思っています」(米團治さん)

落語家の桂米團治さん(中央)、パーソナリティの清水健(右)、桂米舞(かつら・まいまい 左)
落語家の桂米團治さん(中央)、パーソナリティーの清水健(右)、桂米舞(左)

※ラジオ関西『Clip木曜日』2025年3月13日放送回より

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