今まで聞いたことがない轟音(ごうおん)。体が宙を舞った。
一瞬の出来事だったが、福田さんの脳裏ではコマ送りで再生できる。そこで意識がいったん途絶える。意識が回復したとき、「私はここで死ぬんだ」と思った。
と同時に、真っ暗闇の脱線車両から救助され、空の青さに驚いた。事故発生から約1時間半。木村さんも大けがを負った。あの日の空の色については格別の思いがある。


事故の後、人物を描くことが苦しかった。事故前は当たり前にできていたことなのに…
。はじめの栞は青空をバックに白い鳥に導かれる少年を描いた。やがて少女も現れ、しだいに優しさを感じるイラストが続く。
ここ数年、今まで避けていた明るい色を使うようになり、少しづつ色合いに変化が出てきた。


毎年、描くうえで「客観性」を大切にしている。「私の作品として出すのではない。事故の被害者のひとりとして、栞の絵を担当しているのだ」という。「(栞の原画が完成して)自分の手から離れてしまってから、受け手がどう見るか…事故とまったく関係がない方々に栞を手に取ってもらうから、決して押し付けちゃいけないんだ」と言い聞かせている。

20年の節目、福田さんは栞の原画展を開いた。これまでの15点を改めて見つめ、自分の人生を照らし合わせた。




