膝の痛み・監督への思い・父がくれたもの… 澤穂希が語った「頂点」そして「次世代へのエール」 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

膝の痛み・監督への思い・父がくれたもの… 澤穂希が語った「頂点」そして「次世代へのエール」

LINEで送る

この記事の写真を見る(2枚)

 元サッカー日本女子代表の澤穂希さんが女子スポーツを応援するラジオ番組にて、2004年アテネ五輪予選でのエピソードや2011年ワールドカップでの世界一の舞台裏、さらには“食”や“学び”を通じた親としての在り方について語りました。

☆☆☆☆

 番組冒頭でパーソナリティーのDJ83(やっさん)こと安本卓史さんが取り上げたのは、澤さんが出場を強行した2004年アテネ五輪アジア予選・対北朝鮮戦でした。

 日本女子代表は2000年のシドニー五輪に出場できなかった悔しさを胸に、アテネ五輪出場を懸けて北朝鮮との大一番に臨みました。ところが澤さんは試合直前に半月板を負傷し、出場が危ぶまれる状況に。それでも「膝はどうなってもいいからこの試合に賭けたい」という強い覚悟で、痛み止めの注射や薬・テーピングを施して出場を決断したといいます。

「当時のスカウティングの対北朝鮮分析がいい形にはハマった。国立競技場には3万人ぐらいのお客さんに来ていただいて……。女子サッカーでそこまでの観客が入ったことがなかったので、その中で北朝鮮に勝ってオリンピックを決めるという、自分のサッカー人生の中であるかないかの事だった。結果、勝てた訳ですが、それはもう本当に嬉しかったですね」(澤さん)

 この試合をスタジアムで観戦していた子どもたちの中には、のちに澤さんと共に2011年のW杯を戦った選手もいるといい、「そういう子たちと一緒にサッカーができたのは嬉しかった」と感慨深そうに振り返っていました。

 2011年のワールドカップで、澤さんは32歳にして世界の頂点に立ちました。「目標にはしていたけど、まさか本当に(頂点に)立てるって思っていなかった」と当時の心境を明かします。

「世界を取るのは簡単じゃない。今の子たちは技術も高いし、海外に行って活躍する選手も多い中でチャンスが目の前にある。その中で、『メンタルと体がどれだけ一致してパフォーマンスが出せるか』ということは確かに大事です。ですが、やはり『諦めず目標に向かう』ことの重要性を知っていただきたいなと思います」(澤さん)

 また当時のなでしこジャパンのチームマネジメントについては、「佐々木則夫監督のもと、選手が主体的に考える空気があった。信頼関係に満ちたチームだった」と澤さん。


LINEで送る

関連記事