「きっかけはもちろん親父」 サッカー元日本代表FWハーフナー・マイクのサッカー人生とその後の挑戦 | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「きっかけはもちろん親父」 サッカー元日本代表FWハーフナー・マイクのサッカー人生とその後の挑戦

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 サッカー元日本代表のハーフナー・マイクさんが、このたび、ラジオ番組に出演。サッカーをはじめたきっかけやプロ時代の苦悩を明かしたほか、現在の活動についても語りました。

 ハーフナーさんは、2006年、横浜F・マリノスからプロキャリアをスタート。アビスパ福岡、サガン鳥栖への期限つき移籍を経て、2010年にヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。2011年には、J1で日本人トップの17得点を挙げ、日本代表に初選出されました。

 その後、欧州リーグに活躍の場を移し、公式戦通算50得点以上を記録。2017年にJリーグへ復帰してからは、ヴィッセル神戸やベガルタ仙台などを経て、2022シーズンをもって現役引退。現在は、地域貢献活動や、イベント、試合解説など、多岐にわたって活躍しています。

 サッカーを始めたきっかけについて、「もちろん親父ですかね」と語る、ハーフナーさん。名古屋グランパスエイトやジュビロ磐田で活躍した、元Jリーガーの父の影響が大きかったそうで、「気がついたらサッカーボールを蹴っていた」とコメント。「サッカーの世界へは自然と入っていた」と振り返ります。

 小学生のころは、スピードをいかして活躍していましたが、中学校に進学すると身長が急激に伸びたことで筋肉が追いつかず、思うように体を動かせなくなったとのこと。

 当時については、「小学校のときは、どちらかというとスピードスター系だったんですよね。足が速かったんですけど、中学校でグッと身長が伸びたことに筋肉がついていかなかった。マッチ棒みたいな感じで、めっちゃ遅くなった」と回顧しました。

 その後、コンサドーレ札幌のユースから横浜F・マリノスのユースへと進み、トップチームに昇格。順風満帆なエリートコースに見えましたが、プロ入り後に大きな壁にぶつかることとなりました。

「鼻を完全にへし折られる感じ」と胸中を明かしつつ、「紅白戦で対戦するセンターバックは、中澤佑二さん、栗原勇蔵さん、松田直樹さんで、全員日本代表」と当時の厳しい環境を語りました。

「1年目からベンチに座ることがよくあって、そこはいい経験ができたんですけど……。練習からつぶされまくるので、自信喪失してくるんですよ。やりたいことはできないし、『どうすりゃいいんだ』ってストレスを感じて。本当だったら『どうにかしなきゃいけない』って考えるんですけど、ことごとくつぶされるので成長しないんですよね」(ハーフナーさん)

 当時、身長は194〜195センチほどありながら、体重は81〜82キロほど。代謝が良かったためか体重が思うように増えなかったそうで、「飯を食ってもぜんぜん太らないし、筋トレをしても太れない。『どうすりゃいいんだよ』みたいな」と、当時抱えていた苦悩を赤裸々に語りました。

「きつかったですね。その後、試合に絡めなくなる時期とかもあったので、『もうどうなんだろう』みたいな。『もし次うまくいかなかったら、サッカー選手をクビになってティッシュ配りでもやるのかな』とか(考えていた)。今までサッカーしかしてこなかったので、『俺に何ができるんだろう』という(思いがあった)」(ハーフナーさん)

 その後、J2へのレンタル移籍を経験。転機となったのは、サガン鳥栖での岸野靖之監督との出会いでした。

 ハーフナーさんにとって衝撃的な出会いだったそうで、「(岸野監督に)会った瞬間、『俺の勝ちや』『ここに来た時点で、お前は鳥栖に来る』と言われた。すごくグイグイした感じで『俺に任せろ』と言われて、『これだけ欲しい(と言ってもらえる)なら行ってみるか』と思いました」といいます。

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