守さんはこれまでを振り返り、「本音を言うと、静かな余生を過ごしたい。落ち込んでいても、誰も助けてくれないのだから」とつぶやく。数年前、職場でこの事件のことを知らない若者に会い、『これが風化なのか』と感じた。しかし「30年近くたち、一定の風化は仕方ないことなのかも知れない」と話す。

加害男性からの手紙は、2018年から届いていない。今年も届かなかった。「淳がなぜ、加害男性に大事な生命を奪われなければいけなかったのかを知ることは、親としての責務だと思う。加害男性には、自分が犯した事件に真摯に向き合ったうえで、私たちの思いに答えるような対応をして欲しい」と力を込めた。

《神戸連続児童殺傷事件》
1997(平成9)年2~5月、神戸市須磨区で小学生の男女5人が襲われ、小学4年の山下彩花さん(当時10歳)と小学6年の土師淳君(当時11歳)が死亡、ほか3人が負傷した。兵庫県警は1997年6月28日、殺人・死体遺棄容疑で中学3年の少年(当時14歳)を逮捕した。
少年は神戸家裁での審判の後、医療少年院に収容され、2004年に仮退院し、2005年に社会へ復帰する。そして2015年、遺族に知らせることなく、手記「絶歌」を出版し、被害者遺族から批判が起きた。仮退院後、近況を知らせるために遺族へ手紙を出していたが、2018年からは途絶えているという。
2022年、この事件をはじめ重大な少年事件の記録が各地の家庭裁判所で廃棄されていたことが発覚。これを受け最高裁は全国の裁判所に対し、民事・家事(離婚、養育費、相続、成年後見など家庭に関する事件)・刑事事件を含めた全ての記録の廃棄を一時停止するよう指示した。そして史料的価値の高い事件記録を「国民共有の財産」として永久保存すると定めた新たな規則を作った。
※岡村勲弁護士~ 1997年、代理人を務めていた山一証券(当時)を逆恨みした顧客に妻を殺害された。 当時は、犯罪の被害を受けた遺族が刑事裁判にも参加できないなど、犯罪被害者のおかれた立場に疑問を感じ、2000年に「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を設立。2005年に施行された犯罪被害者基本法の成立や、2008年に導入された被害者参加制度の実現に守さんとともに取り組んだ。





