幕末、坂本龍馬が学んだとされる「神戸海軍操練所」(神戸市中央区新港町)跡の発掘調査概要や出土品、操練所の平面図などを紹介した速報展が神戸市埋蔵文化財センター(同市西区)で開かれている。発掘現場の写真パネルとともに、出土した陶磁器や外国製品など、幕末期から明治時代にかけての神戸港の様子を伝える興味深い資料約50点が並ぶ。

「神戸海軍操練所」は江戸幕府の海軍士官養成機関。幕府の要職にあった勝海舟の提言で1864年に開設、坂本龍馬らが学んだ。軍艦造船の機能や係留所、修繕を行うドックなどもあり、広さは約5.7ヘクタールと甲子園球場の1.5倍もの面積だった。だが翌1865年、生徒の中に倒幕派がいるなどの状況から、わずか1年で閉鎖に。その後1868年、明治維新と同じ年に神戸は開港した。

もともと漁村だった神戸が港町として発展する皮切りとなったのが操練所だった。平面図が残っていたため存在は知られていたものの、正確な位置は長い間不明だった。2023年、神戸市のウォーターフロント再開発事業に伴う発掘調査で、操練所の防波堤の石積みを発見。あわせて開港後、その防波堤の上につくられた明治期の防波堤や灯台「燈竿(とうかん)」の遺構も見つかった。幕末期から明治初期にかけて開港した函館、横浜、新潟、神戸、長崎のうち、築港までの変遷が確認できる遺構が見つかったのは神戸が初めてで、重層的に残る遺構によって、港町神戸がどのように発展を遂げていったかが分かる。

速報展では発掘の成果をまとめたパネルを展示。あわせて、出土した幕末期の陶磁器、明治期のかまど跡、外国のワイン瓶や缶詰らしき鉄製品、異国の風景が描かれた皿の一部などを紹介している。操練所跡周辺は生田川の河口部にあたり、幕末期の陶磁器は付近に流れてきたものと思われる。

かまど跡は1877(明治10)年につくられた燈竿の整地層面にあり、建設に携わった人々が作業の合間に煮炊きをしていたと推測できる。かまど周辺にあったもののうち、濃い緑色のガラス瓶は、1740年に創業したオランダの蒸留酒製造会社のもので、瓶にはジンなどのアルコールが入っていたとみられる。食品が入っていたとおぼしき空の缶詰もあった。陶磁器は京焼系の国産のもののほか、モスクを描いた意匠やアルファベットが刻まれた破片など外国製らしきものも。「PARIS」と刻印されたインク瓶もあった。




