生まれも育ちも神戸市中央区でサブカル郷土史家の佐々木孝昌(神戸史談会、神戸史学会・会員)が、北区出身で落語家の桂天吾と、神戸のあれこれについてポッドキャストで語る『神戸放談』(ラジオ関西Podcast)連載シリーズ。今回のテーマは、「神戸弁」です。
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言葉は時代と共に変わっていくし、世代間でも違っていく。方言も、失われていく言葉は多々あるだろう。神戸弁も然り。関西弁と一括りにされても、大阪・京都・神戸では違うし、神戸近郊でも、例えば播州弁とはまた違う。だからといって、普段から神戸弁と意識して話すことは少ないのでは。そして自分でも、知らず知らずのうちに神戸弁ではない言葉を使っていたりもする。

逆に、神戸市北区出身の落語家・桂天吾君の場合は、大阪の上方言葉を話さないといけないので、神戸弁や神戸訛りが出ないようにすることに苦心しているという。いっそのこと天吾君には、神戸弁落語をやってもらいたいところだ。
1939年に発行された神戸弁のバイブル本『神戸方言集』によると、「明治初年、神戸に在住していた土着の神戸人と、播州、四国、大阪、岡山、広島、和歌山などから、それぞれの地方の方言を持って集まった人々によって、現在の神戸市が成立した」とある。それらの地域の言葉が、いっしょくたになったのが近代神戸弁のルーツといえる。だから、他地域とかぶる神戸弁も多々ある。

わが家は四世代同居だったので、僕も戦前からの古い神戸弁の中で育った。幼稚園や小学校の同級生も兵庫区と生田区の区界付近から通う、下町バリバリの神戸弁だった。なので、僕も当然ながら古くて下町の神戸弁だったのだ。
小学校の時に通っていた塾には、淡路島の洲本から通っていた友達がおり、よく「~わいや」という語尾を冷やかされたものである。ところが、中学高校は芦屋へ通学するようになると、神戸から通う同級生はめっきり減って、阪神間や大阪から通う友達が増えた。そうなると、神戸弁があまり通じなくなったので次第にバリバリの神戸弁は矯正されてしまった。かつ、阪神間や大阪の言葉にも感化されてしまったのである。もちろん、定番の「~しとる」や「ダボ」などは変わることはなかったが。
前述の『神戸方言集』にも記載されている戦前からの神戸弁で、中学になってからあまり使わなくなったものに、例えば、「あた(=非常に)」がある。「あた暑い(=非常に暑い)」「あためんどい(=非常に面倒な)」などと使う。その他、「むさんこに(=無茶苦茶に)」「はがい(=はがゆい)」「いぬ(=帰る)」なども言わなくなった。
混訛は抜けないのか、今でも普通に出てくる。例えば、「ムカゼ(=ムカデ)」「なぜる(=なでる)」「ねぶたい(=眠たい)」「カイ(=粥)」「しゃかん(=左官)」「ひちや(=質屋)」などなど。偶にハッと気付いて、仕事柄、「言葉まちごうとると思われてへんやろか」と変に意識してしまう。
「大阪さかいに、京どすえ、兵庫神戸のなんどいや」と言われるように、本来、神戸弁は“おガラがよろしくない”ようだ。
最近、昔ながらの神戸弁を廃らせないよう、家にいる時は子供の頃に使っていた言葉で話している。素の自分になれてアイデンティティを取り戻した気分になる。だが、垂水出身のお上品な配偶者からは「怒っとん?」「怖いねん」と言われる始末。「ナニぬかしてけつかる」……これが怖いんかな。
(文=サブカル郷土史家 佐々木孝昌)
※ラジオ関西Podcast『神戸放談』#12「神戸弁って使ってる?」より


