ゴッホを世界的な芸術家に押し上げたのは、家族の力だった。オランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890年)の特別展「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」が大阪市立美術館(同市天王寺区)で開かれている。ファン・ゴッホ家が受け継いできたファミリーコレクションに焦点を当てた展覧会で、自画像をはじめとする初期から晩年までの作品に加え、日本初公開の直筆の手紙も紹介。8月31日(日)まで。

ゴッホの画家としての不遇な生涯は「存命中に売れた絵が数枚だけ」というエピソードとともに知られている。37歳で自殺したゴッホの作品は実弟テオが管理し、テオが兄の半年後に病死した後は、テオの妻ヨーが継承。ヨーは作品の貸し出しや販売、展覧会の開催、書簡集の出版などを精力的に進め、画家ゴッホの名を世界に知らしめた。ヨーの亡き後はテオとヨーの息子フィンセント・ウィレムが財団と美術館を設立、作品の散逸を防ぐとともに保存修復にも注力した。

展覧会の開会式には、フィンセント・ウィレムの孫で、フィンセント・ファン・ゴッホ財団代表のウィレム・ファン・ゴッホ氏も参加。同氏は「私の曾祖母(ヨー)は、『マーケティング』という言葉が存在する以前からマーケティング戦略を行い、ゴッホの名声を爆発的に高めた。ゴッホ芸術の普及に人生を捧げた」「祖父(フィンセント・ウィレム)の夢はコレクションをすべての人と永遠に共有することだった。そのため彼はオランダ政府と共同でアムステルダムに美術館を設立した」などと、作品を守り伝えてきたファミリーヒストリーを語った。

展覧会では油彩画を中心に「画家としての自画像」「種まく人」「麦の穂」など30点以上のゴッホ作品が並ぶ。直筆の手紙は4通で、いずれも日本初公開。ある手紙では、画家として「正しい道を進んでいると強く確信しているから、他人に何を言われてもあまり気にならない」と自信をのぞかせるが、別の手紙では、画題選びに苦心する様子をつづる。人物のスケッチなどもあり、ゴッホが楽しみながら手紙を書いていたことが伝わってくる。
そのほかゴッホ兄弟が所有していた日本の浮世絵などのコレクション、ヨーが売却した絵画なども紹介。ゴッホ作品を題材としたデジタルアートが映し出されるイマーシブ(没入)体験コーナーで締めくくられる。





