

チェコの源流は、1918年にオーストリア・ハンガリー帝国から独立したチェコスロバキア。東西冷戦構造下、長く共産主義国家だった(1993年に平和的に分離。それぞれ独立国家に)。
こうした中、1970年大阪万博の会場・千里丘陵に徒歩やヒッチハイクで約半年をかけてたどり着いたチェコの青年4人が「さくら探検隊(さくら遠征とも)」として知られ、過去と現在をつなぎ、チェコと日本の深い絆を表している。
4人は今も健在。大阪・関西万博開幕時にチェコパビリオンを訪れたという。
55年経ち、この出来事に触発されたメンバーは、「プラハから大阪への旅は、現代のあわただしい生活の中で忘れられがちな人々や場所との繋がりも得られた。地元の人々と出会い、意見や経験を交換するたびに、文化の架け橋が生まれ、新しい友情と相互理解が生まれた。また、チェコスロバキア時代の歴史的な名車(タトラ車とシュコダ車)を世界に広めることにもつながるから」と一念発起したという。
プロジェクト名は「ROBOT(ロボット)」。これは1920年にチェコの作家カレル・チャペックが戯曲『R.U.R.(ロッサムズ・ユニバーサル・ロボット)』で初めて世界に紹介した言葉に由来する。
現在「ロボット」という言葉は、国際的なテクノロジー用語として広く定着しており、チェコの創造力と革新性の象徴ともなっている。

クラシックカーの車隊は、チェコのナショナルデーの式典に間に合うように会場・夢洲に到着。プラハからメンバーを見送ったチェコのペトル・パヴェル大統領が出迎えた。
ROBOT遠征リーダーのヨセフ・ザイチェクさんは、「プラハからチェコパビリオンまでクラシックカーで1万4200キロもの大陸横断が可能だということを証明できた。しかし、この旅は単なる車の話ではなく、人の物語。互いに支え合いながらチームで挑み、即席の修理を施すメカニック、そして私たちがスタート地点に立つことすらできなかったかもしれないパートナー。心から感謝したい」と話した。


ザイチェクさんは昨年、プロジェクトについてチェコで発表した際、「自信はなかった。何回もあきらめようと思った。モチベーションの維持と、もし失敗したら…という懸念がよぎった。やはり古い車。イスタンブールで38度という気温の中、故障した。パーツがない。チェコから友人が持ってきてくれた。カザフスタンでは18キロを走破。しかし気温は46度だったので夜に走行すると、さまざまな野生動物が現れ、轢かないようにするのが大変だった。最後は韓国で梅雨入り。雨が激しく、雨よけが壊れるなどのいアクシデントが続いた。11か国の横断、各国の外務省や大使館の協力なしでは語れない」と振り返る。






