「被爆ヴァイオリン」終戦80年、平和への響きイタリア館に 広島から長崎、そして大阪・関西万博へ | ラジトピ ラジオ関西トピックス

「被爆ヴァイオリン」終戦80年、平和への響きイタリア館に 広島から長崎、そして大阪・関西万博へ

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 広島・長崎への原爆投下から80年を迎え、大阪・関西万博のイタリアパビリオンで8月9日(長崎原爆忌)、平和への願いを込めた特別なコンサートが開催された。

大阪・関西万博イタリアパビリオン テアトロで開催されたヴァイオリンコンサート〈2025年8月9日 大阪市此花区・夢洲〉

 演奏されたのは、広島への原爆投下を生き延びたロシア人バイオリニスト、セルゲイ・パルチコフ氏(1969年死去)が所有していた「被爆ヴァイオリン」。 

「被爆ヴァイオリン」を奏でる世界的ヴァイオリニスト・豊嶋泰嗣氏〈2025年8月9日 大阪市此花区・夢洲〉

 バルチコフ氏は、ロシア革命で1922(大正11)年にウラジオストクから日本へ亡命した。多くのロシア人は神戸か横浜に定住したが、パルチコフ一家が選んだのは広島だった。

 生活は困窮し、バルチコフ氏はこのヴァイオリンを売りに出す決意をしたが、縁あって無声映画の伴奏者として雇われ、広島女学校(現・広島女学院)音楽教師にも採用された。その後、太平洋戦争が勃発。1945(昭和20)年8月6日に被爆する。一家は無事だったが、ヴァイオリンと身の回りのわずかなものだけを持って避難したという。

 戦後、一家は日本を離れてアメリカへ。1986年に、長女・カレリアさんが広島女学校100周年の式典に出席するため来日。このヴァイオリンを寄贈した。

 こうして原爆を生き延びたヴァイオリンは2012年、ヴァイオリンの故郷とされるイタリア北部・クレモナに住む日本人職人によって修復されて息を吹き返し、レジリエンス(困難に打ち勝つ力)の象徴となり、今もな希望のメッセージを伝え続けている。

 原爆忌の8月9日に開かれた長崎の平和祈念式典で、核廃絶を訴える被爆者が参加する合唱団「ひまわり」の伴奏に使われ、その日のうちに夢洲に運ばれた。

2012年に修理を施した「被爆ヴァイオリン」さまざまな場で奏でられたが、イタリアパビリオンでの音色は格別な響きが
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