次に中将が紹介したのは、安全地帯が1984年4月に発表したシングル『真夜中すぎの恋』。「銀のピアスならはずれてる 夜につれられてゆくなら今」と男女の恋の駆け引きを歌ったフレーズですが、ここで中将が指摘したのは「ピアス」というワードを多用した作詞家の存在。
『真夜中すぎの恋』の歌詞は井上陽水さんによるものですが、彼は同時期の自身のシングル『愛されてばかりいると』(1983年2月)でもピアスを使用。また松井五郎さんも『Happiness』(1984年12月)、『ふたりで踊ろう』、『チギルナイト』(ともに1986年12月)といった安全地帯の楽曲や中森明菜さんの『月夜のヴィーナス』(1985年4月)でピアスについて多く触れています。
そして中将が、誰よりもピアスという言葉のインフルエンサーとなった作詞家として挙げるのは売野雅勇さん。オリコン・ウイークリーランキング1位、1985年度の年間ランキングでも1位を獲得したチェッカーズの大ヒット曲『ジュリアに傷心』(1984年11月)はじめ、河合奈保子さん最大のヒット曲『エスカレーション』(1983年6月)、本田美奈子.さんのデビューシングル『殺意のバカンス』(1985年4月)など錚々たる有名曲でピアスについて触れています。また売野さんの影響か、チェッカーズの藤井フミヤさんも『ONE NIGHT GIGOLO』(1988年3月)などピアスを多用する傾向にあると言います。
一連のピアスソングに対し、橋本は「売野さんの新しい一面を見ました(笑)。当時はピアスという言葉が楽曲にお洒落さやセクシーさを与えてくれるキーワードだったのでしょうか」と感想をコメント。
日本はつい最近の平成時代まで「耳に開けたピアスの穴から白い糸が出てきたので引っ張ったら失明した」という都市伝説がまことしやかに語られるほど、ピアスについて消極的な文化風土でした。昭和のピアスソングに着目した今回の放送は、日本人が異文化であるピアスをどのように受け入れてきたかがうかがえるユニークな研究だと言えるでしょう。
※今回の調査で判明した主なピアスソング
井上陽水『愛されてばかりいると』(1983年2月)、石川秀美『バイ・バイ・サマー』(1983年9)、The Good-Bye『浮気なロンリーガール』(1984年3月)、谷村新司『レストランの片隅で』(1984年10月)、柏原芳恵『太陽は知っている』(1985年7月)、中森明菜『ピ・ア・ス』(1985年8月)、米米CLUB『Party Joke』(1985年10月)、早見優『CLASH』(1985年11月)、山下久美子『スローナンバーのあとで』(1985年11月)、国生さゆり『もう一度走って恋人よ』(1986年8月)、財津和夫『愛にふれたとき』(1987年1月)、西城秀樹『夏の誘惑』(1988年7月)、田原俊彦『かっこつかないね』(1988年8月)など
◆中将タカノリ(ちゅうじょう・たかのり) 1984年3月8日生まれ。シンガーソングライター・音楽評論家。2005年、加賀テツヤ(ザ・リンド&リンダース)の薦めで芸能活動をスタート。昭和歌謡、アメリカンポップスをフィーチャーした独特の音楽性が注目される。2012年からは音楽評論家としても活動。数々のメディアに寄稿、出演し近年の昭和歌謡ブーム、平成J-POPブームに寄与している。
◆橋本菜津美(はしもと・なつみ) 1993年8月9日生まれ。2012年、音楽グループ「半熟BLOOD」を結成。数々の鉄道イベントに出演し、鉄道会社のPRソングを担当することで“鉄道系音楽グループ”として注目を集める。2020年からは兄・橋本大佑とのコントユニット「橋本兄妹」でも活動。コント動画を発表したTikTokアカウントが1億回再生を記録している。




