フォロワーが一気に増加! 阪田マリン『1986年のマリリン』歌ってみた 憧れの本田美奈子.を語る | ラジトピ ラジオ関西トピックス

フォロワーが一気に増加! 阪田マリン『1986年のマリリン』歌ってみた 憧れの本田美奈子.を語る

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 ネオ昭和アーティストの阪田マリンが自身の担当するラジオ番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)で、本田美奈子.の魅力を紹介しました。

ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリン

 いまから40年前、1985年に歌手としてデビューした本田美奈子.。この年は中山美穂をはじめとした多くのアイドルがデビューした1年でもあり、『スケバン刑事』で活躍した南野陽子、浅香唯、大西結花、いまもバラエティで大活躍の井森美幸、そしておニャン子クラブなどが挙げられます。

 番組パートナーのサマンサ・アナンサは、「どの人も印象深い人たち」としたうえで、「当時のアイドルは、歌手としてだけでなく、CM、ドラマなどマルチに活躍していた」とコメントしました。

 そんななか、本田美奈子.は、ほかのアイドルとは異なる路線でデビュー。デビュー曲『殺意のバカンス』は、当時のアイドルのデビュー曲としては少々過激な歌詞が特徴でした。さらに、同年12月には日本武道館(東京)でファーストコンサートを開催し、注目を集めました。

 デビュー翌年の1986年にリリースした『1986年のマリリン』は、大ヒットを記録。おへそを出した衣装で激しく腰を振るふりつけは、当時、世間に大きなインパクトを与えました。これは、歌手・マドンナの影響を受けていたといいます。

 この楽曲に影響を受けているのが、マリンです。SNSでは、“へそ出しルック”(昭和的な呼び方)と本田美奈子.が好きだったという十字架のネックレスをつけた姿を披露しています。

 マリンは、同曲のミュージックビデオも大好きだそうで、自身の薄いピンク色のネイルを見せながら、「ミュージックビデオで同じネイルをしていた本田美奈子.さんをリスペクトしている」と話しました。

へそ出しルックに十字架ネックレス姿の阪田マリン

 華奢(きゃしゃ)な体からは想像できない歌唱力も評価されました。意外なエピソードとして知られるのが、「当初は演歌歌手になりたかった」という話。歌手を目指していた母親の影響も大きかったといいます。

 1988(昭和63)年には、女性だけのメンバーによるロックバンド「MINAKO with WILD CATS」を結成。デビュー曲を、忌野清志郎氏が作曲したことも話題になりました。

 平成に入った1990年、1万人以上のなかからヒロインの座を射止め、ミュージカル『ミス・サイゴン』のキムを好演。以降、『レ・ミゼラブル』エポニーヌ、『屋根の上のヴァイオリン弾き』ホーデル、地球ゴージャスミュージカル『クラウディア』クラウディアなど、ミュージカル俳優としても活躍しました。

 そのほか、チャリティーコンサートでオペラを歌唱するなど、クラシックへの志向も強くなりました。

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