欧州のジャズ大国といわれるポーランド。その特徴や歴史、実情などを、神戸を拠点に活動するジャズピアニスト・李祥太さんが現地取材しました。3回にわたる【ポーランドジャズ紀行】、その前編では、首都・ワルシャワで、ポーランド・ジャズ界のキーマン2人に、李さんが話を聞きました。
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「ポーランド」と聞いて皆さんの頭に浮かぶのはなんでしょうか? 雑貨や食器が好きな方なら可愛い絵柄の「ポーリッシュポタリー(ポーランドの食器)」(神戸にもいくつか専門店がありますね)、流行に敏感な東京だと揚げドーナツに甘いフィリングの入った「ポンチキ」なんかも流行っているのかもしれませんね。
「ポーランドの音楽」といえば真っ先に浮かぶのはきっと「ショパン」でしょう。実際、現在開催中、大阪・関西万博のポーランド館における目玉コンテンツの一つはショパンの音楽なのですが、もう一つの目玉が実は「ジャズ」なのです。
万博も終盤にさしかかる9月上旬、「Jazz from Poland in Japan」と題したイベントが開催され、大阪・関西万博のポーランド館に加えて、大阪市内のライブハウスでポーランドジャズが聴けるのですが、このイベントで来日するアーティストたちや現地のジャズシーンを取材すべく、先日ポーランドまで出張してきました。
独自の進化を遂げたポーランドのジャズはコンテンポラリーから民族音楽的なもの、はたまたエレクトロニカのようなものまで多種多様で、一見つかみどころがないのですが、その秘密を私なりにひも解きつつ、旅の様子とともに「ポーランドジャズ紀行」としてご紹介したいと思います。
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■ワルシャワへ
ポーランド・ワルシャワへは、成田空港からは直行便もあるようですが、今回は大阪・関西国際空港からカタール・ドーハ経由で約19時間の旅路。日本とポーランドは時差が7時間(サマータイムが終わると8時間)あるので、午後7時発ながら現地到着は朝の7時(=日本時間午後2時)。着いたその日から早速インタビューが予定されているので、ドーハまでの夜便(約11時間)でしっかり睡眠時間を確保していきます。
真夜中のドーハでのトランジットを経て、さらに飛ぶこと約5時間、遂にワルシャワ・フレデリック・ショパン空港に到着。車で中心部のホテルを目指します。
車窓から眺める初めてのワルシャワは一見すると古い建築と近代的な建築が共存するヨーロッパの都市のようでしたが、通訳&案内役のAnnaさん(とてもお世話になりました)によれば、古い建築にはナチス・ドイツ時代やソ連時代の異なる様式の建物が混在しているとのことで、東西の隣国に占領されていた歴史を今に映しています。
■Tomasz Chyłaトマシュ・ヒワ(violin)
手配してあったはずのアーリーチェックインが遅れ、アポの時間が近づく中、慌てて支度をしてホテルロビーに戻ると、既に到着していたニット帽の男性と笑顔で挨拶。緊張気味だった我々は柔和な笑顔に和まされました。
彼は北部の港町・グディニャ出身、同じく北部のグダンスク(ご本人の発音は「グダィンスク」に近い。ソポトと合わせて「Tricity(トリシティ)」と呼ばれる)拠点のヴァイオリニスト、トマシュ・ヒワ。この日もインタビューのためにわざわざ列車でワルシャワまで駆けてつけてくれました。
ズビグニエフ・ザイフェルトやミハウ・ウルバニアクをはじめとするポーランドの「ジャズヴァイオリン」の系譜を受け継ぎながらも、独自の音楽を追求するトマシュ(本人は自身の音楽を「プログレッシブ・ジャズ」と呼ぶ)。グダンスクの音大でジャズヴァイオリンのコースなかなか入れず、その間に始めたchoral conducting(合唱の指揮)のコースで博士号を取るまでになったこと、そこでの経験が音楽理解やバンドを率いるのに役立ったこと(そして今はその学校で教授をしていること)など、自身の音楽遍歴を気さくに教えてくれたトマシュ。
そんな彼にポーランドジャズの特徴について聞くと、「アメリカ、イギリスその他いろいろな国の音楽の影響を”Slavic core”で受けとめて自分たちの音楽にしている」とのこと。トマシュの音楽もジャズやプログレの影響を感じさせつつも、スラブ音楽のもつシンプルながら力強いメロディーが一貫して彼の音楽を形作っているのだと、合点がいったのでした。
また、彼が拠点としているグダンスクは「Yass」という音楽ムーブメントが起こった街でもあり、現在のジャズシーンにも、それぞれのアーティストが自分の音楽性を追求する「自由な気風」が流れているとのこと。そもそも共産主義体制からの民主化運動「連帯」が始まったのもこのグダンスク。街にも音楽にもきっと自由な精神が根付いているのでしょう。
2020年の『da vinci』、2023年の『Music We Like to Dance』に続く新作の予定を聞くと、7月にスタジオに入る予定があるとのこと。リリースはきっと来年になるとのことでしたが、9月の来日時には新曲が聴けるかも?しれませんね。
お土産にCDやLPまでいただき大阪での再会を約束して解散。トマシュは「教え子の最初のリサイタルがある」とのことで、また一路グダンスクに戻っていきました。次回は北部の港町にも行きたい、と心に決めたトマシュとの出会いでした。






