兵庫県の神戸市北区、六甲山地の北側、標高400mの盆地に位置している「有馬温泉」。1400年以上の歴史を持ち、道後温泉(愛媛県)や白浜温泉(和歌山県)と共に日本三古泉にも挙げられています。周辺をそぞろ歩きで楽しむこともでき、国内外問わず多くの観光客で賑わいます。過去に様々な著名人が訪れたという記録が残っているという同温泉について、一般社団法人有馬温泉観光協会会長の金井啓修さんに詳しく聞きました。
☆☆☆☆
●有馬温泉を訪れた「文豪」
・谷崎潤一郎
・吉川英治
・幸田露伴
……など。
彼らは自身の作品の中でも、有馬温泉のことについて触れています。
●有馬温泉を訪れた「武将」
・豊臣秀吉
秀吉が歴史上で初めてこちらに訪れたとされるのは、1583年の8月17日。同年4月に行われた柴田勝家との「賤ケ岳の戦い」を終え、大阪城の築城に着手した頃でした。その際に有馬温泉を非常に気に入った秀吉は、翌年1584年の8月2日にも訪れ、ついでに大阪城の様子も見に行ったと記録に残っています。1590年に天下統一を果たした後、5回目(1590年10月)の訪問では千利休を伴い、後の五大老となる小早川隆景などと「有馬大茶会」を開催しました。
湯治の効能を強く信じていた秀吉は、1594年の5月から「湯山御殿」の建設を計画し、町家65軒を立ち退かせ「地上げ」を実施。各家には銀11枚と米100石、破却された寺院には米10石が補償として支払われました。同時に河川の改修や道路の整備も行われ、本格的な“リゾート化”が進められていきます。御殿は同年12月に完成し、秀吉はそこに滞在しました。こちらが9度目の訪問となり、現存する史料における最後の有馬来湯です。生涯を通して、秀吉は有馬温泉を愛し続けました。
当時、温泉は武将にとって必要不可欠な存在だったと考えられています。「温泉を制する者は権力を手にする」と言われ、“誰それ(武将名が入る)の隠れ湯” という言葉が生まれるほど。
ほかにも歴代の天皇や権力者が都から通うなど人気を博した有馬温泉。理由は近畿地方に火山が存在しなかった事にあるといいます。
「火山が無いということは、温泉が湧きにくいということ。そうした地理的状況において温泉が湧く有馬が注目されたのでしょう」(金井さん)
泉質の特徴についても聞きました。「世界的にも珍しい100℃の湯が湧くことです。塩分含有量は神戸港よりも濃く、鉄分が豊富である点も魅力だと言えます」と金井さん。
☆☆☆☆
近年は温泉街を含む周辺地域でビジネスを考える事業者も増えてきているそうで、「伝統的な街並みや景観・ルールを一緒に守り続けていきたい」と金井さんは考えています。「持続可能な温泉街を実現したいですね。“まちづくり基本計画”を進めつつ、これからもプレミアムな温泉リゾート地を形成できれば」と意気込みました。
(取材・文=長塚花佳)
※ラジオ関西『Clip』水曜日 2025年9月10日放送回より




