そして生き残った私が、これだけは言っておきたいことがあります。
3人は殺されてしまったがために、自分達の言い分を述べることができず、裁判の資料は、そのほとんどが彼の説明によるものでした。その結果、彼が家族に苦しめられていたということが過剰にフォーカスされました。

私は、家族の生活と大きく関わってきました。(10月15日の)意見陳述でも申し上げましたが、家族からのコミュニケーションを拒絶してしまったのは彼の方で、それでも家族は彼を心配し、しんどい時には懸命に手伝おうとしていたのであって、彼が言うような、暖かさのない家庭では決してありませんでした。

一方で、殺された3人同様に、彼も私の大切な家族の1人でした。
大切な家族が大切な家族を殺し、殺しかけたという事実、そして一生刑務所で過ごすということは、私にとってあまりに複雑で、表現し難い辛い心境です。
そんな中、罪と向き合わせることで償わせるという裁判所のご判断は、私にも響きました。
この事件をきっかけとして、ボーガンの扱いに関して、法律や条例にも影響を与えました。本来は趣味として楽しんだり、真剣に競技として使用される物であったのに、世間をお騒がせし混乱させてしまった事は、とても心苦しく思います。
一方で、悪用されると極めて危険な面があることは確かだと思いますので、二度とこのような事件が起こらないことを切に願います。.
最後に、この裁判では、発達障害や自閉スペクトラム症等のことが多く取り上げられましたが、決して、障害や特性を持つ方は危険であるということではありません。
犠牲になった3人は、それぞれの人生を生き抜きました。どうか、障害や特性について誤解がなされないように願いたいです。



