ドラァグクイーンのサマンサ・アナンサとネオ昭和アーティストの阪田マリンが木曜日にパーソナリティーを務める番組『Clip』(ラジオ関西、月-木午後1時~)で、昭和の自動車・バイクについてのトークを繰り広げました。
日本では、1898(明治31)年に初めて海外から自動車が持ち込まれ、その後、国産自動車の開発が進んでいきました。戦争などもある厳しい状況のなか、1955年に純国産乗用車「初代クラウン」が登場します。
その後、高度経済成長期に入り、1958年には、排気量360ccの軽自動車として登場した「スバル360」が爆発的人気になりました。
サマンサは、「クラウンは富の象徴だった」とコメント。友人の親の車に乗ることも多かった子どものころ、「その車がクラウンかどうか、ほかの車種なのかなどを意識していた」そうで、「家の車がクラウンということがステータスになっていた」と語りました。
マリンから、「最初に乗った車は?」と尋ねられたサマンサは、「乳母車」とコメント。このボケに対して、マリンが「そして口車に乗せられて」と被せると、サマンサが「いまは火の車」と重ねるなど、ボケ合戦を楽しんでいました。
高校1年生でアメリカへ留学したサマンサは、16歳のときにアメリカで免許を取得したそう(州によって免許取得のルールが異なります)。その後、日本の免許に更新したときのこと。日本の教習所では「右後方よし」などの声出し確認は定番ですが、サマンサにとっては初耳。はじめは、「『右後方よし』って人の名前?」と思ったそうです。
ほかにも、日本車とアメリカの車ではハンドル位置の違いからウインカーとワイパーの位置が異なるため、左ハンドルで慣れていたサマンサはよく間違えていたという“あるある話”も飛び出しました。

昭和の時代に人気となったのは、スポーツカー。国産車初のスーパーカーといわれる「トヨタ2000GT」は、映画『007は二度死ぬ』に登場し、海外でも人気を博しました。
ほかにも、「ケンとメリーのスカイライン」の愛称で親しまれた「日産スカイライン」や「日産フェアレディ―Z」などに憧れた世代も多いのでは? マリンは、漫画『シャコタン☆ブギ』でこれらの存在を知ったようです。





