続いては、新川二郎さんの『全日本すし音頭』(1963年)。レコードジャケットには「全日本すし同好会選定」の文字が。実在の寿司屋のカウンターを利用したとおぼしき写真ですが、ネタ札には現在とマグロ、ヒラメ、ブリなど、あまり変わらないネタの数々が書かれており、ガラスのショーケースも備わっていて興味深いです。制作の背景はわからないそうですが、作詞を担当した作詞家の荒川利夫さんは池袋の寿司屋の長男とのことです。
ここまで明るい曲が続きましたが、一方で、五木ひろしさんの『面影橋』(1976年)は、しんみりした演歌バラード。面影橋とは東京の神田川にかかっている実在の橋。早稲田大学に近く周辺はマンションだらけですが、ちょっと入ると今も古いアパートなどが残っていて、下町の風情を感じさせる地域だそう。
注目は、同居女性が熱を出した日に「角の寿司屋へ百円玉を三つ持ち」という歌詞のシチュエーション。当時の貨幣価値は現代の2.5~3倍程度。「熱がある時に寿司というチョイスはいかがなものか」という中将さんの意見に、橋本さんが失笑する様子も……。それはともかく、当時、若い二人にとっては安い盛り合わせ寿司がご馳走だったということですね。ちなみに歌詞を手がけた喜多條忠さんはかぐや姫『神田川』(1973年)の作詞家でもあります。どこか似た空気感を感じます。
最後にオンエアされたのは、シブがき隊の『スシ食いねェ!』(1986年)。「スシ食いねェ」とは、清水次郎長の浪曲に出てくる森の石松のセリフ。船に乗り合わせた客に「あんた江戸っ子だってね、食いねぇ、寿司を食いねぇ」と寿司を進めるシチュエーションですが、この寿司は直前に大阪で買った押し寿司なので、握り寿司ではないそうです。
数々の昭和の寿司ソングが紹介されたなか、中将さんいわく、このテーマで楽曲を探すのには苦労したそう。昭和にお寿司について歌った楽曲は極めて少なく、むしろ嘉門達夫さんによる『なごり雪』の替え歌『なごり寿司』(2006年)、ORANGE RANGEの『SUSHI食べたい』(2015年)など平成、令和に多いようです。
これについて中将さんは「回転寿司が普及したはせいぜいここ40年くらいの現象。それまでは個人店が主流で、メジャーな食品ではあるものの、昭和の人々がお寿司を食べる機会は今にくらべてはるかに少なかったことが想像できます。また日常の食事についてわざわざ歌にすることが無いという、当時の感覚もあると思います」と考察していました。
※ラジオ関西『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』より
(2025年10月10日放送回)




