兵庫県豊岡市にあるコウノトリの郷公園は、絶滅の危機から奇跡的に復活した、国際的に注目される野生生物保護の聖地だ。2005年9月の放鳥から、現在、日本の空には560羽のコウノトリが飛び、その多くがこの公園から巣立った個体である。
平田オリザさん(劇作家・演出家)のラジオ番組(ラジオ関西『平田オリザの舞台は但馬』)に、コウノトリの郷公園副園長・椿野亮二さんが出演。これまでを振り返った。

コウノトリはもともと、ロシア・シベリア周辺で繁殖する渡り鳥。越冬のために中国南部、朝鮮半島、日本に渡り、そのまま日本に流鳥としてとどまったのが日本のコウノトリのスタートだ。
江戸時代から明治初期にかけて日本中に生息していたコウノトリは、鉄砲による狩猟の解禁、森林伐採、農薬汚染により個体数が激減。円山川の水辺環境が豊かだったことから豊岡が最期の生息地となった。
1955年、兵庫県と豊岡市、協力団体により「こうの鳥保護協賛会」が設立。絶滅寸前のコウノトリを守り増やす取り組みと、増えた飼育コウノトリを野外に放って野生復帰させようという取り組みの両輪ですすめようとしたが、簡単な道のりではなかった。
1965年から開始した、人工飼育。20年間で55個の卵が産まれるも、卵のなかに農薬に含まれる水銀が残るなどして、1羽も孵化しなかった。1971年には、野生個体が絶滅。1986年には飼育個体も消滅し、完全に絶滅の危機に瀕した。
1985年、ロシアから6羽の若いコウノトリを譲り受けたことが復活への転機となった。その後、1989年には人工飼育による雛の誕生に初成功。しかし、遺伝的多様性の確保、環境整備など、多くの課題を克服する必要があった。椿野副園長は、このように語る。
「汚染されたエサを食べることのないよう、環境創造型農業を推進する必要がありました。加えて、遺伝的多様性を保つため、多摩動物公園や韓国、ロシアと個体を交換し近親婚を避けてきました。各個体には詳細な家系図が存在し、誰とどのペアになり、どの子どもを産んだかが現在も記録されています」(椿野副園長)
人工飼育と同時に、野外で生息できる環境を整えるため、祥雲寺地区の方々と連携し、無農薬・減農薬の環境創造型農業を推進。コウノトリのエサとなる生き物が生息できる環境づくりに取り組んだ。
人工巣塔の建設、水田の生態系保全など、地域全体で取り組んだ保護活動が実を結び、2005年に100羽を超えた時点で開始した野生復帰は、2025年9月には560羽が日本上空を飛ぶまでになっている。





