阪神・淡路大震災の翌年に生まれた今井絵里菜さん(29)は、神戸で多くの“気付き”を得た。
京都で生まれ育ち、神戸大学への進学を機に神戸へ移った今井さん。神戸の街で、阪神・淡路大震災で友人や同僚を亡くした人に多く出会った。自身は被災経験はない。それでもこの街に流れる記憶の重さは、必ず垣間見えるという。

「人は、自分の暮らしが揺らいだときに初めて、『社会』や『助け合い』という言葉を思い出すのかも知れない」と話す。それまでは、どこか遠くで起きた話として聞き流してきた出来事が、ある日突然、足元に現れる。どれも起きてから考えるには遅いことばかりだ。
阪神・淡路大震災で全国から支援を受けた神戸。その経験から、神戸の人々は他の地域で災害が起きるとボランティアに向かう人が多いと聞いたことがある。震災が起きた1995年は“ボランティア元年”。今井さん自身も、東日本大震災から数年後に、大学の団体を通じて東北の復興支援活動に参加した。周りの友人が参加していたことが後押しになったという。


大学で地球温暖化や大気汚染への対策について学び、環境問題の訴訟に原告として関わった。夏、35度以上の猛暑日は常態化し、線状降水帯による集中豪雨で河川が氾濫し床上まで浸水するということも、いつ起こってもおかしくないところまで気候変動は進行している。2024年には能登半島で地震から少しずつ復興が進んでいたところに記録的な豪雨が襲った。今井さんは、「『複合災害』と呼ばれるが、地震のあとに豪雨や猛暑が重なれば、被害はさらに深刻になる。気候変動は、災害をより厳しいものにしてしまう」と訴える。
学生時代から、国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)にも積極的に参加し、海外の学生たちとも対話を重ねた。そこで気づいたのは「日本は、災害や環境問題に対する意識を持つ“環境先進国”であるという認識が大きく変わった」ということ。






