昭和歌謡、昭和ポップスにスポットライトを当てたラジオ番組『中将タカノリ・橋本菜津美の昭和卍パラダイス』(ラジオ関西)が、昭和時代に巻き起こったボウリングブームを題材にした楽曲を特集しました。
当時リリースされた名曲、珍曲を聴きながら、空前のブームとなったボウリング文化について、番組パーソナリティーの中将タカノリさん(シンガーソングライター、音楽評論家)と橋本菜津美さん(シンガーソングライター、インフルエンサー)が語り合いました。

令和の現代にもさまざまなブームがありますが、昭和にも多くの流行がありました。その一つが「ボウリング」です。日本で初めての民間ボウリング場は、1952年に東京・青山に誕生した「東京ボウリングセンター」。欧米文化の影響を受けながら徐々に浸透し、1960年代半ばには若者を中心に一大ブームとなりました。
番組で最初に紹介されたのは、楠トシエさんの『長生きチョンパ』(1962年)。千葉県船橋市で1955年から1977年まで営業していた船橋ヘルスセンターのCMソングです。
このCMが始まった1962年、船橋ヘルスセンターは若年層へのPRを狙い、スキーやスケート施設とともにボウリング場を増設。集客に成功し、全盛期には沢田研二さんらザ・タイガースの歌謡ショーや、人気番組『8時だョ!全員集合』(TBS)の公開放送も行われるなど、関東屈指のレジャースポットとして賑わったそうです。
続いて紹介されたのは、牧伸二さんの『あゝやんなっちゃった』(1964年)。ウクレレ漫談家の牧さんは、ボウリングブームを敏感に察知し、ボヤキ漫談「やんなっちゃった節」で「セガレに娘は毎日毎晩 ゴロゴロゴロゴロ ボーリングだよ」と、ボウリングに夢中になる若者の姿を描写。レコードもヒットを記録しました。
中将さんによると、当時のボウリング場は単なる競技の場ではなく、若者にとってのおしゃれな社交スポット。瓶詰めコカ・コーラの自動販売機やジュークボックスが設置され、デートにも利用されていたそうです。
1970年頃には、第1回全日本プロボウリング選手権で初代チャンピオンとなった中山律子さんらスター選手の登場でブームはさらに加熱。全国各地にボウリング場が建設され、1972年にはその数が3697件に達しました(※現在は約600件)。
3曲目に紹介されたのは、ジョニー誠さんの『ボウリングで行こう』(1970年)。セルフプロデュース型のインディーズ歌手として活動していたジョニーさんは、ボウリングとも縁が深く、中山さんらを招いた世界初のボウリング・プロトーナメント「ジョニー杯トーナメント」を自費開催したこともあるそうです。
レコードジャケットに記された「全国2500万人のボウリングファンに贈る ボウリングの歌 ついに発表!」というコピーも、当時の熱気を物語っています。
4曲目は、新藤恵美さんの『美しきチャレンジャー』(1971年)。ボウリングブーム絶頂期を象徴する同名スポ根ドラマ(TBS)の主題歌で、主演の新藤さん自らが歌唱を担当しました。筒美京平さんによる美しいメロディーも印象的で、ドラマには中山律子さんらプロボウラーがゲスト出演するなど話題を集めました。
最後に紹介されたのは、渡部玲子さんの『アタック!パンチアウトボウリング』(1971年)。歌謡ロック調の楽曲で、「グッドボール! ヘッドピン! ポケットヒット! ストライク!」といったボウリング用語のシャウトが特徴的です。
この曲は、玩具メーカー・トミーから発売された家庭用ゲーム『アタック!パンチアウトボウリング』のCMソング。全長2メートルのジャンボレーンを備えた本格的な商品で、当時の価格は8800円(※現在の価値で10万円超)と高額ながらヒットしたといいます。




