新選組も「お客様」だった! 高島屋史料館で取引記録を初公開 企画展「タカシマヤ クロニクル」

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 百貨店「高島屋」は今年1月、195周年を迎えた。およそ2世紀におよぶ高島屋の歴史をたどる企画展「タカシマヤ クロニクル 百・華・繚・乱」が高島屋史料館(大阪市浪速区)で開かれている。幕末、新選組から商品代金を受け取った記録を初公開しているほか、創業から大正初期にかけての貴重な史料、美術品を展示。商いの様子とともに日本の近代美術界発展の一翼を担ってきた高島屋の歩みを振り返る。

「タカシマヤ クロニクル」はほぼ1年にわたる長期展で、現在は第1期「百の時代」(3月30日まで)。「華の時代」(4月11~6月29日)、「繚の時代」(7月11~9月28日)、「乱の時代」(10月10~12月21日)と、時代順に4期シリーズで続く。

高島屋史料館

展示の様子

 高島屋の創業は1831(天保2)年の正月。初代・飯田新七が京都・烏丸松原で古着木綿商「高島屋」を開いたのが始まりで、その後、呉服店、百貨店と姿を変えながら、今日まで商いを続けてきた。「百の時代」第1章では、「お客様を大切にする」「子ども、女中様でも大切にして、ご注文の品々をお見せする」などと商売の基本姿勢について書かれた新七自筆の日記を展示。1864(元治元)年の大火時、店舗と家屋が全焼するも、無事だった蔵の中の商品を安く販売し、連日大賑わいだったとの記録も残る。

「初代新七日記」(1861[文久元]年)

 注目は、幕末、高島屋が新選組から代金5両を受け取っていたことが記録された「古集控(取引記録簿)」だ。同館の高井多佳子学芸員が高島屋に残る膨大な古文書を読む中で「シンセくみ」(新選組)と書かれた箇所を発見。今回、展示の目玉として公開されることになった。

 古集控には具体的な商品名は記載されていなかった。だが、小説家・子母澤寛が新選組を知る人物に取材、まとめた「新選組遺聞」には、隊旗を「高島屋でこしらえた」との記述がある。同学芸員は「5両を受け取ったことは確認できるが、残りの代金1両1朱1歩は未払いのままだった可能性が高い」と推測する。「くわしきことは誂帳にあり」と書いてあるが、「誂帳」の所在は今のところ不明だ。「新選組遺聞」によると、隊旗は「緋羅紗で、縦にやや長く四尺位、幅は三尺位のもので白く『誠』の文字が染め抜かれていた」という。

「古集控」(文政~明治期)。冒頭に「シンセくみ 河きち様」と書かれている

 第2章は「暮らしに美を届ける」。明治期の高島屋が呉服のみならず、装飾業や貿易業に進出した足跡を紹介する。邸宅内の装飾裂や刺しゅう・染織による装飾品は、その技術の高さによって海外からの注文が相次いだ。中でも、刺繍絵画「獅子図」(明治中期~大正初期)は獅子のつややかな毛並み、もの言いたげな表情が立体的に表された傑作だ。刺しゅうという手仕事で迫力ある獅子を描いた、名も知らぬ職人の“神業”に圧倒される。また、1909(明治42)年、高島屋は各店で「現代名家百幅画題」と題した日本画展覧会を開催。著名画家100人の新作を一堂に陳列した展覧会は大きな話題に。その2年後、高島屋には美術部が創設され、展覧会や販売活動を通じて日本の近代美術を支える存在となっていった。

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